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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (6)

  • 『とらドラ!』で描かれた、母性のエゴイズムへの“処方箋” - シロクマの屑籠

    とらドラ10! (電撃文庫) 作者: 竹宮ゆゆこ,ヤス出版社/メーカー: アスキーメディアワークス発売日: 2009/03/10メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 103回この商品を含むブログ (288件) を見る 『とらドラ!』がめでたく完結した。この方面の娯楽作品としては素晴らしいクオリティで、ずっと楽しませてもらった。しかもただ面白いだけでなく、あれこれと考えさせられる内容でもあった。 思春期を取り扱った作品の多くがそうであるように、この『とらドラ!』もまた、主人公達が自己決定していく物語であり、“親世代や社会との軋轢”*1に直面しながらも、それらと折り合いをつけていく描写が作中に含まれている。アニメ版25話で、実乃梨が自己決定について泣きながら訴えていた内容などは、思春期モノの作品では珍しくない。 とはいえ、幾つかの点で『とらドラ!』はいかにも今風で、興味をそそられる。 まず

    『とらドラ!』で描かれた、母性のエゴイズムへの“処方箋” - シロクマの屑籠
  • 「他人に読まれる為の文章」以外に対する反応を僕は想定しきれていなかった。 - シロクマの屑籠

    最近どうも、僕自身が言いたいこととか言いたい相手とか、そういうのを度外視して、僕に何かを投影して、勝手に回収していく人があるようだ。僕はヒールとしてではあるが、「萌え」の対象になっているんだろうか。僕を媒体として、僕に何かを投げかけて、僕の虚像を回収して何らかの納得なり“理解”なりを回収するという営為というか。どちらにしても、自分の意図とは全く異なる反応を投げかけられるってのは結構驚くものだし、反応の主旨を咀嚼するのに時間がかかるんだなということも以下の指摘から教えられた。 2007年09月21日 D_Amon D_Amon コミュニケーション 相手は自分が皮肉られていることを把握しつつ、届いていないふりをしているのかもしれませんよ。安いなあ、なんて思いつつ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/200

    「他人に読まれる為の文章」以外に対する反応を僕は想定しきれていなかった。 - シロクマの屑籠
    closer
    closer 2007/09/22
  • 他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬

    自分の思念と感情と都合にしか関心を持てない人は、他人のそれらを知ることがないし、知ろうともしない。よって他人の利害や苦楽には疎くなるしかないわけで、「空気が読めない」人間になる可能性が極めて高い。こういう人は、感情や利害のレベルにおいて「手鏡で自分だけチェックし続けている人」なわけで、他人のステータスや動向に関心を持たず、だからいつになっても空気が読めない。否、そもそも彼らは空気を読もうとしてないし、空気に興味すら持っていない。 逆に言えば、空気が読めない人間を発見した場合、その人が「自分自身にしか興味の無い人」である可能性を疑っておいたほうがよさげだ。他の人間の利害や感情を参照し考慮することなく、自分自身の思念と感情と都合だけを一心不乱に眺め続けていて空気が読めない人は、相手の都合や利害を計算に入れずに動くことが多かろうし、だからこそ付き合いにくい相手だろう。空気が読めない人間(のように

    他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬
  • 萌えオタ達は女の子の都合や利害に関心が無い。だからこそ萌えメディアの「恋愛」は常に一方向的でしかない。 - シロクマの屑籠

    オタクはしばしば、空気が読めない者として語られることが多いし、実際そういうオタクは結構いたりするのだが、これってやっぱり第三世代以降のオタク達に(マクロレベルでは観察できる)広く薄い傾向なんじゃないかと私は感じている。彼らのなかには他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬 - シロクマの屑籠に書いたような「自分の利害と感情はモニターしていても、他人のソレには無頓着無関心」な者が少なからず混じっている。第三世代以降のオタクには、(他者性が見事に欠落しているが為に)リアル女性とまともな双方向的交際が困難なケースが多い*1。自分の感情と利害しか追わないような男を女性は忌避するし、だからこそ両者の間に色恋沙汰の架け橋が生まれる確率は極めて低い。 代わりに萌えオタ達は、所有/隷属というどちらかだけの都合を押し付けるような関係や、純愛・献身などといったタームによってごまかさ

    萌えオタ達は女の子の都合や利害に関心が無い。だからこそ萌えメディアの「恋愛」は常に一方向的でしかない。 - シロクマの屑籠
  • 人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠

    男性という生き物は自分と他人のどちらが格上かを判断するのが大好きな生き物である。しかし雄犬と同じだと決めつけてしまってはつまらない。大脳が大きいためか、社会的コンテキスト*1が複雑なためか、雄犬よりも人間男性のほうが序列化の手続きは複雑だし、だからこそ観察していて退屈しない。犬の序列は比較的単純な「生物としての強弱」という単一に近い評価尺度で優劣が決せられるけれど、人間の場合は面白いほど評価尺度が多様化している。 具体的には、 DQNは、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数・やらかした悪い事・車のスピーカーから鳴らす音の大小などで人間評価を行う。DQNにとって、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数というのは、自分自身と他人を評価するモノサシとして機能する。それらの程度をみてDQNは人間に値段をつけるし、それらの程度を高めることによって自分自身の値段が高くなると信じている。 学者

    人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠
    closer
    closer 2006/04/06
    男に限らないということと、「ヘコヘコする心理」についても考察してほしい。
  • 都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠

    私は田舎オタクである。そうに違いない。そんな田舎の私にとって、以下のテキストは他人事ではなく、日々の実感に即したものだと思う。 文化と差別、そして「おたくと新人類」 - ARTIFACT@ハテナ系 1997年頃からは、インターネットやniftyserveのお陰で、私も上京してオフ会に出たり東京で買い物をする事が出来るようになった。東京で、各分野オタク文化の最先端を取り込んでいる人達から話を聞き、コンテンツを教えて貰ってちょっと遅く導入する。それと、都会では様々な人と遭えるので、目新しい文化や価値観に触れる機会を得ることも出来る*1。こんな事は昔は出来なかったし、今自分が能動的にオタクやっていられるのも、情報網・交通網の発達のお陰だとは思う。 それでも、首都圏−地方の格差は今でも厳然と存在している。田舎オタクをやっていて首都圏のオタクに近いコンテンツ摂取をしようと思うと、余計な努力を余儀

    都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠
    closer
    closer 2006/03/14
    東京のにわかオタクが田舎に行けばオシャレさんだからな。地理的な情報格差ってまだまだあるし。
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