モジモジ君に関するcoleoのブックマーク (40)

  • 個として生きること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    中間集団に所属することと(その中間集団を批判することも含めて)個として生きることは両立する。両立しない、と言うなら、それは「反日は日を出て行け」の類の頭の悪さ以外ではない。 言うまでもなく、私はさまざまな集団に所属し、その集団の威を借りて生きている。これは当たり前のことだ。人は、たまたま生まれ落ちた場所にあったあらゆるものを使って生きようとする。それも当たり前のことだ。というより、人が在ることの条件そのものだろう。で、僕が常々主張していることは、それぞれの集団の中において、それぞれの集団の外に対して、個として突っ張り通すことを外して考えることはできない、ということだ。 右でも左でも、こういうことがさっぱり理解できない人というのはいる。たくさんいる。でもまぁ、いちいち驚くよりは、いちいち指摘する方が生産的だと思うので記しておく。さすがにウンザリはするわけだが。 自由で自立した個人なんて、一

    個として生きること - モジモジ君のブログ。みたいな。
    coleo
    coleo 2009/12/06
    「人は、たまたま生まれ落ちた場所にあったあらゆるものを使って生きようとする」「自由で自立した個人なんて、一体どこにいるのだろう」。人間は、生まれたときから社会的に存在するのだということ。
  • 「個人に依拠する」ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    主に、「個人と民族主義」について。 「個人に依拠せよ」の意味が取り違えられていると思うので(無理もないことですが)、そこから始めたいと思います。 「個人に依拠する」=「「私が在る」に依拠する」 僕は「個人に依拠せよ」と述べました。「いかなるアイデンティティの基盤とも関係のない無色透明の個人」みたいな理解をしている人が多々いるので、それは誤解であるとハッキリ申し上げておきます。僕が「個人」に依拠せよというときに述べているのは、私の身体、私の生活、私の関係性、すなわち、私の生の現実に依拠せよ、ということです*1。それが民族主義者の言う模範的形式にしたがっているならば、それをそのままに、したがっていないとしても、それをそのままに。「そのままに」です*2。これは抽象的なものでも透明なものでもありません。民族主義が要請する規範などより、遙かに具体的で現実的なものです。生きられている現実そのままなので

    「個人に依拠する」ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • HALTANさんへ、四つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081105/p1 さすがに、「いやもうバブルでも何でも起こしてドッカンドッカン好景気にして」には、どうしようかと思いましたけど。 「べき論」とは区別された議論として (3)について 素人の俗論で甚だ恐縮なのですが、これも極端な話、バブルなんかそんなに畏れるほどのことでしょうか? 今回の危機に対しても、オバマさんも早急に対処に乗り出すでしょうし、制度や規制の再設計も速やかに行われるでしょう…。 良くも悪くもたかが資主義です、失敗と修正を繰り返すことで自転車操業していけばそれで良いわけです。 それはかなりヒドイ話です。自覚的であったかどうかは別にして、この10年はまさに、「とりあえずバブル膨らましとけ」な自転車操業をやっていたわけです。そして、それがとうとうはじけました。仮にHALTANさんの主張を受け入れるなら、今回の金融危機

    HALTANさんへ、四つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • HALTANさんへ、三つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081101/p3 について。 「船上パーティ」に参加しない自由 う〜む・・・。素人は「べき」論だけ語っていればいい、ということなんでしょうか? ここからして自分はずっこけてしまった。こっちは、そんな悠長なことを言っていられない緊急事態がもう17年も続いてしまっていると思っていたので。 まず、大事なことを確認しておきます。「べき」論=目的に関わる議論と手段に関わる議論は別です。そして、目的を定めずして手段の議論はできませんから、「べき」論こそが先です。論理的に言って。その上で、「具体的イメージがわからない」とおっしゃったのはHALTANさん自身です。だったら、無理に考えることはない、と述べたのです。考えたいなら、考えたらいいのではないでしょうか。別に止めてはいません。しかし、繰り返しますが、「べき」論こそが先です。論理的に言って

    HALTANさんへ、三つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • バブル・金融危機・再分配 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    そもそも何が起こったのか。「反リフレの経済学」とも関連しますが、簡単に解説します。それと、そのときに予告した「処方箋」の話、もっとちゃんと書こうと思ったのですが、余裕がないので、この記事の末尾に簡単に書きました。 金融緩和とバブル 金利引下げは、「現在の支出を有利に、将来の支出を不利に」することで、現在の実需を増やそうとするものですが、そう簡単にはいきません。そもそもいらないものは買わない。足りている人は買わない。それよりは、「何があるか心配」だから、お金を取っておく。そのため、金融緩和で増えた資金がどこへ行くかといいますと、有価証券などのストック市場に流れ込み、そこでの価格上昇をもたらします。すると、価格上昇が、それらの有価証券の投資先としての魅力を高め、さらに資金が流れ込みます。これがバブルです。こうして実現した高い株価や地価が、企業や家計に対しては「資産が増えた」という認識を生み、そ

    バブル・金融危機・再分配 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • HALTANさんへ、二つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081031/p2 思うに、専門が云々、というような難しい話ではないです。 まず前提を、それも、一人で考えましょう 「一人一人をちゃんとみんなで守る、そういう社会をコツコツと作っておくべきだった」「この社会を壊したくない、そう思うように一人一人を大事にしておくべきだった」・・・いや、そこで「そういう社会」の具体的なイメージがどうもよく掴めないのですが・・・。 そういう「具体的イメージ」こそ、専門家に任せてくださるとよいな、と思います。僕からあなたにお願いしたいのは、「具体的イメージを書く」ことではなく、「具体的イメージを要求すること」です。そのためには、もちろん、「社会はなんのためのもの?何を目的にするの?」ということを先に決めておく必要があります。だから、HALTANさんがまずなすべきことは、「この社会はどうあるべきか」、それ

    HALTANさんへ、二つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • HALTANさんへお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    発端は、http://d.hatena.ne.jp/Romance/20081029/p1 ですね。僕が「すばらしい」タグをつけたこの記事に、HALTANさんが http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081030/p2 のような記事を書かれたので、次のようなブコメをつけました。 2008年10月30日 mojimoji なんだこりゃ 「…金融・財政政策が必要」とかは誰も書かない」>前に書いたよ。>http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080930/p1 /Romanceさんは野宿者を助けろと言ってるのであって、アルミの価格を上げろと言ってるわけじゃないでしょうJK。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081030/p2 お返事いただいたので、再度お返事

    HALTANさんへお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 野宿者を公共圏から追い出したい人こそが家を明け渡すべき - モジモジ君のブログ。みたいな。

    HALTANさんの記事の、次の部分にも答えておきます。 それと「公共施設」に野宿者を受け入れろというなら(というか今回もそうとしか読めないわけだけど)、まずはアンタたちが自分の生活圏の中でやってみてくれ、としか言い様がない。一般人はそこまで心も広くないし余裕もないし、あるいは一般人や貧乏人同士が助け合いだか何だか知らないが下手に自分たちで問題を抱え込んでも共倒れになるだけだろう(反貧困活動家までが「溜め」だの余計なことを言うから困るんだが。この機に乗じて自分たちの脱資主義的な労働共同体幻想を成就させようとは薄気味がわりいんだよ!) http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081030/p2 えーとね、たとえば、公園を念頭におきます。公園はみんなの場所です。僕は、このみんなの場所を、他に行く場所のない野宿者が利用するのを認めます。そして、公園以外の場所で住めるようにち

    野宿者を公共圏から追い出したい人こそが家を明け渡すべき - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下知事「学力調査の市町村結果、公表すべし」 学力調査非公表なら「私の責任で公表も」 秋田県知事、いずれもasahi.comより。*1 上記記事に関連して。 調査というのは、何を、どういう方法で測り、それにどういう意味があるのかをきちんと考えられる人にとってのみ、意味がある。公表が問題になっているその学力調査というのは、何をどういう方法で測ったのか。そして、測った時点での測定値にはどういう意味があるのか、そういうことも含めて丁寧に検討するのでないならば、結果だけ公表しても意味がない。そして、「結果だけ公表しても意味がない」ということがわからない人に対して公表することは、明白に害がある。 たとえば、ある地域の学校の教育力を測定したいのであれば、ある時点での学力を測り、なんらかの教育手法を試した後、もう一度学力を測定し、どのくらい変化があったか、ということを問題にしなければならない。また、その

    学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • GDP概念の使い方、その1 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    GDP概念の、というより、その使い方の批判。まずは、わりと有名な次のから。 環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態 作者: ビョルン・ロンボルグ,山形浩生出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2003/06/27メディア: 単行購入: 6人 クリック: 174回この商品を含むブログ (101件) を見る いろいろ問題あるけど、やっぱり使えるよ ロンボルグが「インフレ調整済みGDPは豊かさの指標として適当か?」と題された一節でGDP概念について議論しているのは、121ページから123ページのところ。整理してみよう。 まず、GDPが富の指標として使う場合によく指摘される基的問題を、ロンボルグは三つほどあげている。第一に「GDPは正式な市場の外で生じる生産を含まない」ということ。家事労働とか、そういうやつ。第二に、「地下経済を考慮に入れていない」こと。もちろん、犯罪組織の活動

    GDP概念の使い方、その1 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    coleo
    coleo 2008/09/04
    GDPは、私たちが「どんな」社会を作ろうとしているのか、ということを問うときに使う指標ではない。そう問う際、個別の要請を捨象しているから。
  • GDP概念の使い方、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    憧れの山形浩生さんに反応してもらったよっ!>「GDP というものの考え方について」 ワクワクしすぎて仕事が手につかないので、先にこちらを終わらせちゃうことにします。 僕はどのような議論を批判しようとしたのか 先に、「GDP概念の使い方」において、僕がどのようなタイプの議論を念頭においていたかを書いておきます。 A 医療や介護、あと教育に対する政府支出は十分ではないよ。もちろん、生活保護などの所得保障も十分ではない。課税を強化してでも、そうした基的なニーズを満たすための支出をしっかりすべきだよ。 B いやいや、君の気持ちもわかるけど、そういう政策は経済成長に悪い影響を与えるから、注意しなければいけないね。やるなとは言わないけれど、少なくとも、まずはマクロ経済の回復を待ってから取り組むべきだよ。それが大前提。 A なるほど、そうなのかー この手の議論はあちこちにあります。たとえば、今回の山形

    GDP概念の使い方、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • GDP概念の使い方、まとめ - モジモジ君の日記。みたいな。

    ※ ここは、元々「GDPの使い方」のあったURLですが、山形氏の記事からのリンクがここに張られているので、最初の記事を一つずらして、関連記事へのまとめさせていただきます。 「GDP概念の使い方、その1」   :一番最初の記事。 「GDPというものの考え方について」   :山形氏の批判記事。 「GDP概念の使い方、その2」   :山形氏への応答記事。 「GDPというものの考え方について」に、「追記」が追加。 「GDP概念の使い方、終了」   :「追記」を受けて。

    GDP概念の使い方、まとめ - モジモジ君の日記。みたいな。
  • 「普遍性」を批判/拒否すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「改良か革命かみたいな話をした覚えはないけどな」@無産大衆 最近、ブログ巡回をほとんどおやすみしてて気づいてなかったのですが、僕への言及があるのを見つけたので。 権利は個別利害以上のものである ああ、てかな、良い経営だとか適正な市場とか寝言はどうでもいいから金(飯)寄こせ、馬鹿。て言えないようでは権利とか意味あるんですか?つー話なだけです。 まず、madashanさんの記事の核心と思われるこの部分から。 まさに、このような意味で、たとえば「株主の権利」などが主張されてきたように僕は思います。労働市場や資市場におけるルールの変更は、まさにこのようにして要求されてきました。まぁ、一応の「みんなのため」的エクスキューズはあちこちにありますけどね。他方で、そんなエクスキューズはエクスキューズでしかないということを自明なものとして、音爆発の人はあちこちにいるわけです(ちょっと古いですが、ホリエモ

    「普遍性」を批判/拒否すること - モジモジ君のブログ。みたいな。
    coleo
    coleo 2008/08/26
    「普遍性」とは、「普遍性」の語法に基づかない主張に対しても、「普遍性」の語法をうまく使えない人たちの利害に対しても、同様に適用されて初めて「普遍性」であるはず。
  • 労働者が余っているのか、支払いが足りないのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく当の理由」@起業ポルノ 気軽に「生産性が下がる」とか、「労働者が余っている」とか書いてるんだけど、そのように述べるときの前提を考えてみようかな、と。とりあえず「労働者が余っている」について。 「単純労働者が余る社会になる」とか書いてるわけですが、そもそも、医療や介護の充実が社会的課題になっている昨今、医療や介護の従事者がどこでも不足しています。その意味で、つまり、現場レベルでいうならば、「余って」などいません。他方で、医療や介護の技術を習得しながら、その仕事に就いていない人が結構たくさんいます。賃金が安すぎる、労働環境が苛酷過ぎるので、敬遠されているわけです。その意味では「余って」います。単純な話です。医療や介護では報酬が政府によってだいたい決まっているわけですが、その水準が低すぎるので、こういうことが起こるわけです。

    労働者が余っているのか、支払いが足りないのか - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 「成果」とはなにか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由」@分裂勘違い君劇場 に関連して、昨日の続き。そもそも「成果」ってのがなにか、について。 「成果」の前提条件としての「分配」 手短に。次の二つのうち、どちらがビジネスとして成り立つかを考えよ。 とある金持ちの、肩揉みをする。 とある貧乏人の、病気の看病をする。 言うまでもなく、1は(金持ちが肩揉みをしてほしいと思っている限りで)ビジネスとして成り立つけれども、2は(この貧乏人が看病してほしいはずであっても)ビジネスとしては成り立たない。ビジネスとは、「金持ってる奴」のしてほしいことをすることによって成り立つものであり、「金持ってない奴」のためには、何をやってもビジネスにはなりえません。「貧乏人」のために働くことは、完全な、あるいは部分的な*1ボランティアによってしかなしえません。 で、「金持ってる奴」のしてほしいことを

    「成果」とはなにか - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • こんなものが「経営」か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由」@分裂勘違い君劇場 「分裂勘違い」は、結構マジな自称なのかな、と思う今日この頃。 「「経営」に関する迷信」における迷信 迷信1 企業は社会的使命のために活動する 企業の目的は金儲けではありません。 これを忘れると、中長期的には、逆に、売上も利益も減少していくことが多いです。 …… 企業は、経済的な富を生み出すことを目的とした唯一の社会的機関です。 経済的な富を生み出すことこそが、企業の社会的使命です。 normative(規範的)な議論とdescriptive(事実説明的、記述的)な議論がごっちゃになってます。normativeな意味でなら、企業の目的は金儲けではなく生産活動を通じて社会に貢献することでしょうが、descriptiveな意味で、ほっておいても企業がそのように行動するというわけではありません。企業の行動

    こんなものが「経営」か - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • イジメの形而上学 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、ベースとして、コレ。>「いじめ/ファシズム/引きつった笑い - 過ぎ去ろうとしない過去」 問題は「イジメであったかどうか」ではない 人の内面は、その人しかわからない。てゆーか、その人にはわかっているのなら、まだ問題としてはマシなんだよな。その人のわかっているつもりの内面が、その人の当の内面を隠蔽するために捏造されたものだったりもするので、その人のいうことを真に受けておけばいい、というわけでもない(真に受けるしかない、ということはあるけれど)。いずれにせよ、内面はわからない。 だから、外形に頼るしかないところもあるわけで、いじめとなりうる外形的な状況が発生していたら、「人がどう思っていようと」それはいじめだと、まずはいってしまう、というスタンスも出てくるだろう。これはこれでわかるけれども、まぁ、乱暴ではあるわな。難しい。 では、どう考えるか。つまりは、その状況からその人が抜け

    イジメの形而上学 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    coleo
    coleo 2008/07/12
    人のコミュニケーションというのは、何をどうやってもイジメになってしまう可能性は否定できない、事前に100%排除しておくことなど不可能
  • 「似非科学を似非科学的に批判すること」への追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    二つほどトラックバックをいただいたので、それぞれについて。 まずはApemanさんから。>「「疑似科学と平和運動」について再び」 「似非科学的な人が市民運動やってると、市民運動全体の信用を下げるから問題だ」という発想が「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」という発想を「採用」したことになるのか。 批判の一部としてであれ、それを前提にして批判しているのですから、ならないわけがないでしょう。 ここには確かに考えるべきところはあって、あくまで「それはそれ、これはこれで評価すべき」と原理原則にのっとった反論をすべき、という考え方はあるでしょう。ただし私自身は、上で言及したエントリでも書いたように、陰謀論とか疑似科学的発想は「個別の」誤りではなく「体系的」に誤りを生みだす思考様式だからこそ問題にすべきだと考えているので、例えば「護憲」といったごく荒っぽいくくりにおいて

    「似非科学を似非科学的に批判すること」への追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 杉田俊介『無能力批評』に応答する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    杉田俊介さん(id:sugitasyunsuke)の書かれた『無能力批評』に、このブログへの言及があると聞いてたので、買ってきて読まなければと思ってはいたのだけれど、先日、親切な方からトラックバックをいただきました。もう少し考えてからにしようかとも思ったのだけど、この記述が一人歩きしそうな気配もあるので、とりあえずの二つのことを述べておこうと思います。 ちなみに、杉田さんが引用した文章は、「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」ですが、その二日後に書かれた「「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る」は無視されています。単に、気づかなかったということかもしれませんが、いずれにせよ、それも踏まえて考えるならば、杉田さんの書かれているような批判にはならないはずだとも思います。 「勝ち組」にとっての「痛みと失語」の入り口 しかし、有島/mojimoji氏には根的な違いがある。mojimoji氏の

    杉田俊介『無能力批評』に応答する - モジモジ君のブログ。みたいな。
    coleo
    coleo 2008/06/15
    ]「弱い者とさらに弱い者を対立させている何か、これを考えなければな」らない
  • バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。

    「十字軍はバカに勝てるか」では、「バカ」の中身をまったく説明せずに用いた(108回も)。では、バカとか賢いとかは、どのように考えればいいのか。何やら質主義的な定義をしている人もいれば、そもそも「バカ」という記号を忌避して事足れり、としている人もいる。そんな単純な問題ではなかろう、とは思う。以下、述べていく。 「バカ」という記号とその構造 さて、この記事についての検討からはじめよう。>「あなたの周りにいる人はバカばかりですか?」@Skepticism is beautiful 僕がある人を指して「バカだ」と言うとき、それは僕の認識枠組みにおいて、その人が、なんらかの不十分さや欠落を持っている人として評価されている、ということを意味する。どういう理由でかは別にして、ともかく、僕の位置からはそう評価されていることを意味する。逆に言えば、「何かが欠落した奴ら」「欠落していない私たち」という枠組み

    バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。