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歴史に関するcomzooのブックマーク (211)

  • 天皇の代数 - 我が九条

    天皇の代数は難しい。125代目と言えば簡単だが、昔からいろいろな数え方が存在する。 南北朝時代には神功皇后を歴代に数えていた。逆に弘文天皇と淳仁天皇と仲恭天皇は歴代に数えない。従って後醍醐天皇は何代目か、と言えば、現代では96代目となるだろうが、南北朝時代には94代目である。 肝心の南北朝時代の天皇だが、現代の、特に自分が発起人を務める教科書を決算委員会の場で採択するように圧力をかける政治家は次の様にしか考えないだろう。 後醍醐−後村上−長慶−後亀山 しかし当たり前だが、今上天皇は後亀山の子孫ではない。室町時代には自分が擁立する天皇の先祖を持ち上げ、自分が擁立する天皇に反逆し、天皇を僭称した不届き者は天皇とは扱わなかった。室町時代の天皇の代数は次のように意識されていた。 後醍醐−光厳−後醍醐(重祚)−光明−崇光−後光厳−後円融−後小松−称光−後花園 ちなみに今上天皇は崇光−栄仁親王−貞成親

    天皇の代数 - 我が九条
    comzoo
    comzoo 2011/06/09
    JRの線路と名神高速と住宅地に取り囲まれ、狭く騒々しいところに十二柱も一緒に押し込められて、いとあはれにおもはるる「深草十二帝陵」の大改修を是非に。
  • 歴史認識をめぐる、やる夫のインターネット活用術 - 法華狼の日記

    自分まとめの歴史認識Togetterは微妙なものが目立つ - 法華狼の日記 歴史学と刑事裁判と事件報道と、それぞれの区別すらできないのかな - 法華狼の日記 上記の2エントリの続き。重たい話にならないよう、あえて気楽な形式で書かせてもらう。 AAで話を進めるのは好き嫌いが出るぞ / ̄ ̄\    そんな形式で大丈夫か? /       \        ___ |::::::        |     /     \ . |:::::::::::     |  / ⌒  ⌒  .\ |::::::::::::::    |/  (●) (●)   \  だ、大丈夫 .  |::::::::::::::    } |    (__人__) U   |  けっこう前から何度かやってるし .  ヽ::::::::::::::    } \   ` ⌒´     _/   ユカイなユーモアをまじえな

    歴史認識をめぐる、やる夫のインターネット活用術 - 法華狼の日記
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 7 (「対ソ戦のプロフェッショナル」)

    ドイツの将軍達が戦史を書くのは歴史を重視するプロシア陸軍以来の伝統とも言われます。けれども敗戦後に書かれた回想録は必ずしも事実に根ざしたものとは限りません。ハルダーの下で戦史編纂作業の統括をつとめたホイジンガーなどはどう考えても立ち会っていないだろう場所や部署での会話や状況をまるで自身がその場にいたかの如く書き上げたことで批判されていますが、トップに立つ人物の回想がこの有り様ですから他の将軍達の叙述にもルールに従って大幅に脚色された部分が含まれることになります。 そして1948年頃になるとヒトラーだけでなく、国防軍総司令部のカイテル、ヨードルといったOKWの将軍達も批判の的になり、「諸悪の根源はヒトラーと国防軍総司令部であって陸軍参謀部は純粋に軍事的な組織である」と明確に主張されるようになってきます。「武装親衛隊は戦闘部隊であって一般のヒトラー親衛隊とは区別しなければならない」という武装

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 1 (冷戦初期のアメリカ戦争計画)

    第二次世界大戦の戦いは多くの出版物のお蔭でその概要が誰にでもつかみやすく、しかも実際に戦われた最後の大戦争ですから読んで面白く考えて楽しく、しかも害が少なく趣味の対象として絶好の存在です。 一方で枢軸国の無条件降伏によって戦争が終わり、その直後から始まった米ソの対立=冷戦は正面切った戦争が戦われなかったこともあって「いったいどんな戦争をしようと考えていたのか」具体的にイメージしづらい傾向にあります。 しかも冷戦期は核兵器開発の全盛期とも重なりますから何につけても核兵器、核戦争の強烈な印象が先に立ち、戦争をすれば核戦争になり全ては終わりで考える価値もないように思えますし、核兵器のお蔭で戦争というものがまったく姿を変えてしまい、戦術理論も何もかも昔の理屈は通用しないような気もします。そして個々の兵器もまたそれまでとは機能も存在意義も変わってしまったような感覚があります。例えば三号戦車と現代のM

  • 自分まとめの歴史認識Togetterは微妙なものが目立つ - 法華狼の日記

    まとめた者が何を指して「これはひどい」とタグをつけているか、気でわからない。 【これはひどい】ブサヨアカウント発見 「どうしてネトウヨは…」【メモ】 - Togetter @genronjin 1 昔の日教組と今の日教組は違う 2 昔は日教組の組織率が低くて力がなかった 3 ネトウヨが適当なことをRT 一体どれです? Anonymous_jp_ 2011-05-21 19:28:41 日教組は全ての悪弊の根源このような組織がある限り子供を公立学校には行かせないでしょう RT @Anonymous_jp_: @genronjin 1 昔の日教組と今の日教組は違う 2 昔は日教組の組織率が低くて力がなかった 3 ネトウヨが適当なことをRT 一体どれです? genronjin 2011-05-21 19:34:22 ツイートをまとめている対象の[twitter:@Anonymous_jp_]氏

    自分まとめの歴史認識Togetterは微妙なものが目立つ - 法華狼の日記
  • 北条泰時「わたし・・・すべての武士を御成敗式目で救いたい」

    怖大夫牧野さん @mknhrk 儒教、というか宋学的な君主論が浸透しきっていて、しかも天皇という装置を有する畿内、西国と、東国における君主の理想像は、実は結構違う気がする。東国の理想の君主は、結局鉢の木の時頼や、地方漫遊の御隠居や、暴れん坊旗三男坊なんだよなあ。と起きてきて呟く。

    北条泰時「わたし・・・すべての武士を御成敗式目で救いたい」
  • 『ナチスが最も恐れた男』 - 法華狼の日記

    2008年にノルウェーで作られた第二次世界大戦映画。レジスタンスの一員として活躍したマックス・マヌスを主人公にすえて、北欧での知られざる反ナチス活動を描く。 http://gyao.yahoo.co.jp/p/00867/v00119/ GYAOで無料配信していたので視聴してみたのだが、悪くない。今後もこういう劇場未公開な埋もれた傑作を配信してほしい。 物語は比較的に単純。フィンランドで対ロシア戦を行った記憶をかかえつつも、主人公達は反ナチスのビラを印刷してばらまいたり、当初は思いつきめいた活動ばかり描かれる。 主人公も温和な顔つきの俳優が演じ、若者らしい反抗気分としてのレジスタンスが描写される。映像も緊張感がほとんどなく、市街地のロケも最近の都市を撮影している雰囲気が画面にただよう。ロシアやナチスによる暴虐すら画面で描かれない。 しかしナチスに踏み込まれた主人公が窓から飛び降りた場面から

    『ナチスが最も恐れた男』 - 法華狼の日記
  • 南京事件否定論者は数字に弱すぎる - 法華狼の日記

    先日に紹介したばかりだが*1、2ちゃんねるまとめブログ「アルファルファモザイク」で新しく南京事件関係のエントリが上げられていた。1万人分の名簿が確認できたと伝えているらしいサーチナ記事が、なぜか新しく1万人分犠牲者数の見積もりが増えたという主張に化けている。 http://alfalfalfa.com/archives/3140834.html はてなブックマークは32usersしかなく、きちんと否定論批判をしているコメントもある。 はてなブックマーク - 日軍強すぎw 南京での犠牲者が新たに1万人追加される しかしtwitterでは言及しているツイートが100を大きく超えており、しかも否定論にはっきりと与した例も少なくない。 Twitter. It's what's happening. 上記ツイートは一部にすぎない。 日歴史学者こそがうんざりしていると思うよ。否定論が今もまだ流布

    南京事件否定論者は数字に弱すぎる - 法華狼の日記
  • 学生向けの教育サイトで見つけた南京事件否定論 - 法華狼の日記

    さて、最近の南京事件記事に対する反応を調べていた時に気にかかったのが、「がんばれ凡人!」という豆知識を集めた教育サイトだ。「一介のサラリーマン」*1というMr.凡人氏によって2002年に開設されたらしい。 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/index.htm はてなブックマークを見ると、コンスタントに人気を集めている。ほとんどコメントがついていないことが、当に参考とされている危険性を感じる。一見するとシンプルで危険性の感じられないサイトデザインが、信頼感を与えるのかもしれない。 はてなブックマーク - http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/index.htm しかし「凡人は歴史に学ぶ」というコンテンツで大正から昭和にかけてのページを見ると、あまりに危険と評さざるをえない。2002年のインターネットにおける状況も思い起こさせて

    学生向けの教育サイトで見つけた南京事件否定論 - 法華狼の日記
  • 最近に見かけた南京事件論争 - 法華狼の日記

    サーチナで下記のような記事があった。 サーチナ-searchina.net 中国のブログ「康康BLOG」では、世代が異なると日への気持ちもまったく異なると紹介している。 筆者は、1960−70年代生まれの中国人にとって、自分の祖父母が日人に侵略されたという経験は一種の教訓であり、中国歴史教育でも日の悪行を見て見ぬふりをしてはならないと教えられたと紹介、「旅行好きの友人も日だけは行きたくないと言うし、自分の夫のように日に対する憎しみが強い人も少なくない」と述べる。 東日大震災については、「ある程度は同情したが、四川大地震のときのような強い感情はない。原発事故による放射能漏れなどで日が世界に被害をもたらしたことでもっと同情の気持ちはなくなった」と綴った。 日に対して親近感を持っていない様子の筆者だが、日漫画が大好きだという筆者の10歳になる娘は、日に大いに興味を持ってい

    最近に見かけた南京事件論争 - 法華狼の日記
  • 0151-11JP

    ドイツと日は、基的価値と利害関心を共有し、国際問題で多くの場合共通の立場をとり、経済、科学、文化の各分野で緊密な交流を行っています。両国の協力を一層強化していくのは当然のことなのです。

    0151-11JP
  • 沖縄タイムス | [視点]記憶と共に生きていく 「集団自決」訴訟

    [視点]記憶と共に生きていく 「集団自決」訴訟 社会 2011年4月23日 09時19分Tweet(2時間21分前に更新) 「最高裁が原告の上告を退けました」。待ちわびた結果を慶良間諸島の体験者に電話で伝えた。「当によかった」「みんな頑張ったよ」。元気な声に安心したが、最も若い体験者でも既に七十代。朗報を伝えられず、既に亡くなった体験者もいる。 この知らせを最も伝えたかったのは66年前に「集団自決」で亡くなった人々だ。私たちは無残な死を通して、「集団自決」の真実を知った。一人一人の命を思いながら、裁判が終わったことを心の中で語りかけた。 2005年に提起された「集団自決」訴訟。元隊長と遺族の名誉棄損訴訟は、歴史修正主義者らと連携し、法廷で沖縄戦を審判する場になった。2007年には高校歴史教科書の軍命削除の根拠となった。 提起から6年。沖縄戦の真実を法廷で認めさせ、実態を土に伝えていくた

  • 沖縄タイムス | [「集団自決」訴訟]消耗戦を終わらせよう

    [「集団自決」訴訟]消耗戦を終わらせよう 2011年4月23日 09時19分Tweet(3時間2分前に更新) 戦争中の座間味・渡嘉敷両島での「集団自決(強制集団死)」は旧日軍の命令によるものかどうかをめぐる6年越しの裁判が終わった。最高裁は21日付で原告の訴えを棄却、軍が関与したことを認めた一、二審判決が確定した。 裁判は、沖縄戦で旧日軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家・大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、慶良間諸島の当時の守備隊長らが名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版社の岩波書店に出版差し止めなどを求めていた。 一、二審判決とも原告の訴えを棄却。大阪高裁は「集団自決に軍が深く関わったことは否定できず、総体としての軍の強制や命令と評価する見解もある」と判断した。 この問題は教科書検定にも影響し、文部科学省は2006年検定で日軍の関与を明記しないよう教科書

  • 沖縄タイムス | 「声が届いた」身削る出廷、実結ぶ

    「声が届いた」身削る出廷、実結ぶ 社会 2011年4月23日 10時21分Tweet(2時間1分前に更新) 沖縄戦時、慶良間諸島で起きた住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐる訴訟は、自決を命じていないと訴えていた元戦隊長らの主張を3度、退けた。法廷で自身の戦争体験や母の記憶を苦しみながら紡いだ被告側の証人たちの元にも22日、待ち望んだ「吉報」が届けられた。 訴訟が提起されてから約6年。「正義と歴史の真実が認められた。長かったがようやくゴールしたという気持ちだ」。渡嘉敷島の「集団自決」を体験した金城重明さん(82)は、そう口元を緩め、最高裁決定の重みを反すうした。 那覇で開かれた一審の出張法廷で被告側証人として体験を証言したのは、2007年9月。戦時の証言や講演を請われれば「避けてこなかった」という。最愛の母と幼い妹弟を手にかけた16歳の記憶を、胸の傷をえぐられながらも語ってきたのは「生き

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  • 守った沖縄戦の真実 岩波・大江勝訴 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 守った沖縄戦の真実 岩波・大江勝訴2011年4月23日  Tweet 最高裁の棄却で勝訴が確定した大江健三郎氏らの会見=22日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ  【東京】「沖縄戦の真実が認められた」―。「沖縄ノート」をめぐる名誉毀損(きそん)訴訟で、住民の「集団自決」(強制集団死)の日軍関与を認めた判決が確定したことを受け、著者の大江健三郎さん(76)らが22日午後、版元の岩波書店の関係者と共に東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。「真実がずっとあいまいなまま、米軍基地があり続けたのが戦後一番の問題。最高裁で主張が認められ、力強い励みになった」。大江さんは言葉をかみしめるように話した。 東日大震災に心を痛め、勝訴確定にも笑顔はなかった。「最近『日は一つ』という言葉をよく目にする。だが土の人と沖縄の人の心は一つではない」と目を伏せる。「基地を望まない沖縄に、土の人間

  • asahi.com(朝日新聞社):日独友好決議、自民が多数欠席 歴史認識、党内に溝 - 政治

    日独交流150周年にあたって友好関係を深めるため、22日の衆院会議に民主党や自民党が提出した「日独友好決議」の採決で、自民党議員116人のうち安倍晋三、麻生太郎両元首相ら約30人が直前に退席し、10人近くが座ったままで反対するという異例の事態となった。  問題になったのは「(日独)両国は、第1次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、1940年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」という部分。  会議直前の自民党代議士会で(1)事前に党の部会などで議論がなかった(2)事実の誤認がある、と執行部批判が噴出。下村博文氏は「ドイツは1939年のポーランド侵攻から(戦争が)始まっている」と採決での全員退席を求めた。  石破茂政調会長が「党の手続きにのっとって私が賛成ということにした」と説明したが収まらず、

  • 時事ドットコム:日独決議に反対・退席続出=第2次大戦表現に反発−自民

    日独決議に反対・退席続出=第2次大戦表現に反発−自民 日独決議に反対・退席続出=第2次大戦表現に反発−自民 22日の衆院会議で採択された、日ドイツの友好関係強化を目指す決議をめぐり、当初は賛成方針を示していた自民党内で会議直前に異論が噴出、40人以上が反対や退席する異例の事態となった。決議の文言について党内調整を怠った執行部の不手際が原因とみられている。  同決議については、民主、自民両党を中心に文言をまとめ、21日の衆院議院運営委員会理事会で22日の会議採択を決定。第2次大戦に関し「(日独)両国が各国と戦争状態に入り、多大な迷惑を掛けるに至ったが、両国は戦争への反省に立ち、世界の平和と繁栄のため緊密に協力している」などと記した。  ところが、この表現をめぐって会議前の自民党代議士会は紛糾。高市早苗氏が「日側の一方的言い分で、ドイツまで巻き込んで反省する決議はおかしい」と主張

  • 「日独決議」に共産など反対/佐々木氏 「侵略戦争の歴史認識後退」

    衆院会議で22日、日独交流150周年決議が民主、自民、公明などの賛成多数で議決されました。 日共産党、社民党、たちあがれ日は反対しました。 これに先立つ議院運営委員会で意見表明した佐々木憲昭議員は、当初、議運委理事会に示された決議案は「侵略行為により、近隣諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」としていたが、今回の決議案では「侵略行為」が削除され、「各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」と書き換えられており、「到底容認できない」と述べました。 村山首相談話(1995年)では「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明していたことを指摘。「少なくとも村山談話が明らかにした歴史的到達点を踏まえるのが当然であり、侵略という認識を大きく後退させる

  • 元捕虜のオーストラリア人、来日 - Apeman’s diary

    今日(3月5日)の朝日新聞(大阪社)朝刊は、日軍の捕虜となり大阪の造船所で働かされていた元オーストラリア軍兵士ジャック・シモンズさんが、66年ぶりに来阪して工場を訪問したことを伝えています。シモンズさんの来日と関連した報道がネットにもありました。 河北新報 2011年03月05日 「豪の元捕虜 52年ぶり酒田訪問 日人遺族と対面」(魚拓) 太平洋戦争末期の1944年から約1年間、山形県酒田市の酒田港で強制労働に従事させられたオーストラリアの元戦争捕虜、ローリー・リチャーズさん(94)が4日、同市内の収容所跡地を52年ぶりに訪れた。収容所生活を陰で支えた日人の遺族とも対面し、親交を深めた。 外務省の「日人とPOW(戦争捕虜)の友好プログラム」事業の一環。家族5人で酒田を訪れたリチャーズさんは、東京捕虜収容所第2派遣所(後の仙台捕虜収容所第9分所)があった酒田市町3丁目の温泉施設に

    元捕虜のオーストラリア人、来日 - Apeman’s diary