「我が国固有の言語」に戻すための取り組み 確か「はだしのゲン」だったと思うのですが、戦争中は「敵性語」は禁止されていたため、ストライクは「いい球ひとつ」、ボールは「悪い球ひとつ」と審判が言って、主人公が「何でわざわざ言い換えるのか」とポカーンとするいう描写があったのを覚えています。実際当時どれだけの人が守ったか定かじゃありません。 これら戦前戦中の「日本語の純化」が無意味なものだと皆わかったので、現在はこういう「伝統的日本語への回帰」というものの社会的な関心度は高くありません。 ただし一概に「言語純化は無意味」は言い切れない側面もあり、たしかにナショナリズム的な側面も強い一方で、文化や言語の保護・育成といった側面もあります。 言語純化の取り組みは世界中にあり、いくつかの国では現在でも進行中のものもあったりします。 1. ケマル・アタチュルクによる「トルコ語純化運動」 コスモポリタンなオスマ
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