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ジェンダーに関するcubed-lのブックマーク (197)

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告 - macska dot org

    Filed under feminism, queer Posted on 2006/08/31 木曜日 - 02:00:40 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/152/trackback/ 46 Responses - “フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告” oji Says: 2006/08/31 - 06:31:21 - 興味深いやりとりのご報告を読ませていただき、ありがとうございます。 >自分の中に潜む異性愛中心主義に正面から向き合うことにはならず 自分の「中に」であれ、他人の「中に」であれ、「潜む」なにかを問題化するのは行き過ぎではないか、と個人的には思います。外にあからさまに出ているそれこそ「言説」をその

    フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告 - macska dot org
  • ◆福井のジェンダー図書排除事件。突然、リストが公開に。8月26日の集会はあり

    《転送転載・歓迎》 わたしたちは、今年の3月末に福井県生活学習館から153冊のジェンダー関連図書が排除された問題に取り組んできました。7月27日のご案内 ところが、問題の「150冊の図書リスト」が8月11日付けで、とつぜん全面公開されたことにより「情報非公開処分取消訴訟」の必要がなくなりました。 排除リストは、これ⇒  公開された書籍リストのPDFファイル(1.24MB) 福井県の部長は、「リストを提出した人の同意が得られたから、公開する」とマスコミに釈明。しかし、その言い分は、情報公開条例の制度上、間違っています。 加えて、リストを提出した「人の同意」で非公開から公開に判断が変わっというのですから、リスト作成者以外の著者・編者らのプライバシーや利益保護という説明は、非公開理由に当たらなかった、ということを自ら立証した訳です。 ともかく、同日、抗議文と公開質問状を福井県知事宛、提出しま

    cubed-l
    cubed-l 2006/08/22
    なんでこんな対応が出来るのかが不思議
  • 純粋なココロ 2.0: 「フェミニズムはみんなのもの」だって、騙された俺がバカだったよ

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao ・コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑 http://macska.org/article/151 (※改行の関係で引用が読みにくいので、原文に当たることを推奨) フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。わたしはフェミニズムが女性だけのものだ

  • ジェンダーフリー=男女同室着替えさせまくり説についてのまとめ。 - 荻上式BLOG

    「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の件について書いてみようと思う。長文になるので、結論だけ知りたい人は「男女同室着替えはジェンダーフリーのしわざだいっ! …って言うと漏れなく憐憫のまなざしがついてくるからやめようね」という内容だということだけ分かればいいと思う。では、記事開始。 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」というイメージを作るのに最も大きく貢献したメディアのひとつは、なんといっても『週刊新潮』(03年01月30日号)だと思う。その内容は次のようなものだった。 高校生にも男女同室で着替えをさせる ジェンダーフリー教育の元凶 福岡県の県立大牟田北高校を訪れた人は、ギョッとするような光景を目にすることになる。この高校では体育の授業や部活動の前に、男女が同じ教室で着替えをしているのだ。「勿論、女性とは素っ裸で着替えているわけではなく、あらかじめスパッツを穿いたり、Tシャツを着たままで着替

    ジェンダーフリー=男女同室着替えさせまくり説についてのまとめ。 - 荻上式BLOG
  • 上野さんの本はどこが危ないんだろう?/コメントの指摘を受けて - みどりの一期一会

    まずは 一期一会のクリックを 福井県のジェンダー関連図書排除リストについて、 情報非公開処分取消訴訟をすると朝日新聞にのったので、 昨日は、マスコミ各社から取材が相次ぎました。 気になりながら後回しにしていた7/20記事の続編です。 「生活学習館にあると判明している上野さんの16冊」と書きましたが、 図書リストから、さらに上野さんのが6冊見つかり、 図書名しか書いてないリストからも、8冊見つけました。 というわけで、先の16冊が特定できたというのは間違いで、 「生活学習館にあると分かっているのは30冊」です。 生活学習館の図書台帳には、著者名が書いてなくて、 書籍名だけ(副題なし)というリストもあるので捜すのに苦労します。 上野のタイトルを全部知ってないと見つけられません。 これはこれで、台帳の記載方法として問題ありです 《最初の16冊》 △はリストにはないと指摘されたもの ----

  • ジェンダーを論ずる理由は? - 烏蛇ノート

    中絶をめぐる議論がもう少し残ってますが、その前にちょっと別の話を。引用はシロクマ氏のこちらの記事より。 なぜ、彼ら彼女らはジェンダーに拘って白熱した議論を続けていられるのだろうか?佳い女だったら何でもいいじゃんと思う私にとって、一見すると彼らの行動選択は不可思議で非生産的なものにみえる。“そんな議論に心血を注いでいる暇があったら、もっと異性の魅力を追いかけ回せばいいのに”とか、“女の魅力からジェンダーを除去して、何が面白いんだろ?素直に欲情してイカれちまえばいいじゃん”とか考えてしまう。ジェンダーを議論したところで印税が入ってくるわけでもないのに、異性への恋慕がよりドラマチックになるわけでもないのに…不思議だ。 シロクマ氏が「ジェンダーに拘って白熱した議論ができる」ことが理解できない理由は一見すると単純で、「シロクマ氏にとって興味を惹かれない話題だから」というだけの話に過ぎないように見えま

    ジェンダーを論ずる理由は? - 烏蛇ノート
  • 単純にご自分にとって興味の持てない話題というだけのことでは? - watapocoの日記

    ■単純にご自分にとって興味の持てない話題というだけのことでは? シロクマ先生の以下のエントリを読んで。 ・「議論してる暇があったら佳い女に惚けてりゃいいのに」と思ってしまう。 http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060720/p2 なぜ、彼ら彼女らはジェンダーに拘って白熱した議論を続けていられるのだろうか?佳い女だったら何でもいいじゃんと思う私にとって、一見すると彼らの行動選択は不可思議で非生産的なものにみえる。“そんな議論に心血を注いでいる暇があったら、もっと異性の魅力を追いかけ回せばいいのに”とか、“女の魅力からジェンダーを除去して、何が面白いんだろ?素直に欲情してイカれちまえばいいじゃん”とか考えてしまう。ジェンダーを議論したところで印税が入ってくるわけでもないのに、異性への恋慕がよりドラマチックになるわけでもないのに…不思議だ。 そりゃ、議論して

  • 「弱者男性」を名乗る人達は一体何を獲得したいんだろうね?フェミニズムに絡んでもモテないよ? - 想像力はベッドルームと路上から

    順番が違う‐kmizusawaの日記 当に抑圧されているのは誰か 〜「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?〜‐純粋なココロ 2.0 「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容‐*minx* macska dot org in exile 僕が「社会規範からの抑圧」に執着する理由 〜ある脱オタ者の眼に映るジェンダー〜‐純粋なココロ 2.0 これを単なる「煽り」としか読めないならどーしようもないですが‐*minx* macska dot org in exile 一連の話を読んでて笑えるのが、仮に「弱者男性(の定義もイマイチよくわかんないけど)」をフェミニズムがカバーするとして、ではその「弱者男性」に一体どのような制度的分配を行えばいいのか、当事者たる「弱者男性」の側から何一つ具体的に示されていない点だと思う。それこそ空中戦というか。 フェミニズムにし

    「弱者男性」を名乗る人達は一体何を獲得したいんだろうね?フェミニズムに絡んでもモテないよ? - 想像力はベッドルームと路上から
    cubed-l
    cubed-l 2006/07/23
    このエントリで凄くすっきりした
  • 「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 - *minx* [macska dot org in exile]

    以下は最近家ブログで続けている「弱者男性」論への対応シリーズの番外編。id:kmizusawa さんの「順番が違う」という記事への反論というか「違和感」を書いた Masao さんという方の「当に抑圧されているのは誰か ?「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?」という記事に軽くコメント。 実際に抑圧されているのは「男」でも「女」でも「ゲイ」でもなく、「社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち」ですよ。社会規範に乗れている人たちは、どんなジェンダーを持っていようと、抑圧なんかされていないんですよ。対立しているのは「男VS女」ではなく、「規範適応者VS非(不)規範適応者」ですよ。ここまでは、以前別館でも書いたとおり。 なぜ「それではなく、これ」という話になるのか。「性別を理由とした抑圧」「性的指向を理由とした抑圧」「ジェンダー規範による抑圧」のうち、どれか1

    「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 - *minx* [macska dot org in exile]
  • 「男の子」とフェミニズムについていろいろよくわからないこと。 - さかさまつげ

    「深夜のシマBlog」の『バックラッシュ!』非難を読んでいるうちにふと連想したのは、まるで無関係っちゃ無関係なのだけれど、フェミニズムが(ある種の)男の子たちを抑圧した、という前提で書かれているとおぼしき更科修一郎氏のこの文章だった。70年代後半の乙女ちっく少女漫画が「少女幻想」という抑圧から、フェミニズムによって少女たちが解放されていく以前の表現、抑圧下で生まれた表現であるが故に、フェミニズムによって抑圧された男の子たちのための物語として機能したのだ。つまり、この時代の少女漫画が発見した少女の自意識と身体性に対する不安が、現代を生きる美少女ゲームユーザーな男の子の自意識と同期してしまったのだ。「『月姫』までの長い途─ぼくらのリアルと美少女ゲーム─」http://www.ann.hi-ho.ne.jp/cuteplus/ncp/coco01.html#004 そもそもこの文を読んだのはA

  • macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59

    Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/19 水曜日 - 08:35:14 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/147/trackback/ 56 Responses - “鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問” 斉藤 Says: 2006/07/19 - 18:25:53 - すばらしい力作(あ、いつもか・・)でした。これ、今年の日語圏フェミニスト論文大賞ものです! おっしゃるように、フェミニズムがバッシングの対象となるのは、ネオリベ社会になり、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」

    macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59
  • 痛いニュース(ノ∀`):【ジェンダーフリー】「わあー気持ちいい」・・小中学校で男女混合さわりあい教育

    1 名前:飼育係φ ★ 投稿日:2006/07/11(火) 21:19:09 0 子供たちが悲惨な性犯罪に巻き込まれないようにと学校周辺での見守り活動が熱心に行われているが、肝心な学校の中で子供たちの好奇心をあおる授業が深く浸透している。 紙は昨年、中学の体育授業で実施されている「体ほぐしの運動」の問題点をいち早く指摘した。 男女が互いに、相手の体を回したりゆすったり、また男女が交互に座って円形をつくり、後ろの人に自分の体を預けて寝そべったり。 教科書には「笑うと友だちのおなかが動くのがわかりますか」などと説明が付いている。 最も男女が密着する「人間椅子(いす)」は、男女交互で生徒が椅子状に中腰になり、互いに膝(ひざ)の上にお尻を乗せ合い、輪を作るというもの。 こうした授業が導入された背景には、他者とのコミュニケーションがうまく図れない、いじめや不登校の増加などへの対応策の一

    cubed-l
    cubed-l 2006/07/12
    まあ世界日報だし
  • macska dot org ? Blog Archive ? 小谷野敦さんの回答を検証する(プラス小谷野さん専用コメント欄)

    さて、改変につぐ改変を繰り返す小谷野氏に耐えかねてわたしが提示した7つの質問に対し、小谷野氏は一応の回答をよせてきた。今度はこの回答をあとから改訂するようなことはしないで欲しいのだけれど、順番に検証していく。なお、小谷野氏は「小山のコメント欄での議論は、小山と一対一でやれるならともかく、匿名の第三者が入り込んできたりして面倒なことこの上ないから、お断りである」と書いているが、なるほどこれはもっともなので、このエントリのコメント欄では小谷野氏(とわたし)以外の発言を禁じる。何か意見を書きたい人は、掲示板に書いてください(匿名の人の意見は、多分小谷野氏には無視されます)。 さっそく第1・第2の質問。 小山エミというのが「マチカ」の名であることは、当人から前に聞いていたが、明かさなかったのは周知の通りである。さて、ミクシィに載せた『バックラッシュ!』への批判では、私はウェブ上のマチカ発言と、同書

    macska dot org ? Blog Archive ? 小谷野敦さんの回答を検証する(プラス小谷野さん専用コメント欄)
  • 男性問題のバックラッシュ?? - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    【弱者男性にとっての最大の武器は「教養」です。教養(想像力)に加えてサムマネーと度胸があれば、強者になれると、カーネギーさんあたりは言っていますが、少なくとも僕は「ちっちゃな教養らしきもの」しか持ち合わせがない、だから弱者かもしれないが、「教養人」に対してはリスペクトする。ルサンチマンの怨念で「知に対するバックラッシュ」だけはやろうとは思わない。学ぶことでしか道はないのです。】 参照:最後の拠り所は教養の力 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」 某図書館で棚を眺めていたら、ジェンダー、ジェンダーフリー、フェミニズム、男女共同参画、女性学、女性問題…と細かいカテゴリーが沢山あって、その分類の境界線を司書の方はどのように把握しているのか、難しいなぁ…と、ひとりごちしながら、それはそうと「男性問題」なんてあるのかなぁ…と目で追ってみたが、「中高年齢問題」、「老人問題」はあっても何故か「男性問題

    男性問題のバックラッシュ?? - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
  • macska dot org » Blog Archive » 共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」

    Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/08 土曜日 - 15:20:07 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/145/trackback/ 35 Responses - “共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」” 匿名 Says: 2006/07/08 - 20:55:01 - > 「なぜバックラッシュに対する感情的な反感が発生するのか」というのは明らかに複数の論文の中心的な課題 えっ、そうだったんですか?わたしゃ買ってないのですが、販促ブログとか読んでて「なぜバックラッシュ(そのものや、それ)に対する感情的な『共感』が発生するのか」解説した論文がたく

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  • 深夜のシマネコBlog: 『バックラッシュ!』を非難する

    ●ということで、今日は双風舎『バックラッシュ!』に対する非難(批判ではなく)。 なぜ「批判」かと言えば、双風舎編集部は自身のブログの中で「同書をつくった意味のひとつは、議論のたたき台になるようなものをつくる、というものなので。」と述べてるが、私は決してこのを議論の叩き台にしてはならないと考える。ゆえる、両者の間に建設的意味を持ちうる「批判」ではなくて、建設的意味をもたない「非難」とする。 まずは簡単にバックラッシュに至る前提を提示する。 1、全体として「男は強者」「女は弱者」という色眼鏡でしかモノを見ていないため、結論がすべて「女性優遇」でしかなく、想像される社会が男女平等とはほど遠い。 2、「社会進出」という名前の会社的な観点でしか強弱を区分していない。「会社での地位=人間の価値」という価値観を推進してしまっている。 1+2、こうした論理がフリーターやニートという「弱者男性」、そして、

  • femmeletsの日記 -文化としてのネオリベラリズム

    <性>の科学と社会MLより、玉野さんの投稿から抜粋。 こうした言説には驚くとともに、怒りを禁じ得ない。 http://conservative.seesaa.net/article/19202634.html 以下、記事抜粋 <分野別施策> 6,性的マイノリティの人権尊重には反対する。 性同一性障害者の人権尊重といっても、現実にそのような人は僅かしかない。そのような障害を持った人が出た場合にケースバイケースで対応すれば済む話である。例外的な性的マイノリティに配慮して、「男らしさ、女らしさ」を否定する教育を行うことは断じて許されない。 同性愛も同様である。同性愛は社会的タブーであり、これは健全な規範意識である。男女の愛を大事にするところから家庭が築かれ、親子の愛が育まれる。同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。そうなったら男女関係から成り立つ家庭は崩れてしまう。同性

    femmeletsの日記 -文化としてのネオリベラリズム
  • 母は子を殺さない - FemTumYum

    ものすごくベタフェミな話で恐縮なのですが。 秋田の児童殺害事件の、とくにテレビ報道、今更と言えば今更なのだけれども、ひどく疲労。わたくしこの事件に格段の興味があったというわけでもなく、昨日の朝のニュースショー、ワイドショーでいきなりどかんと大騒ぎになってはじめて、あ〜そうなの、前からこの人が容疑者だと思われていたのね、などと知った程度なので、ここにいたるまでの報道がどうであったのか、全く記憶にないのだけれども、というよりもしかするとそれだからなのかもしないけれど、最初当に驚いてしまった。最初に亡くなった子供の母親が容疑者だって!驚愕!ということではなくて、その報道の余りの無軌道ぶりに。 どこのニュースショーもワイドショーも「子供を亡くした親がなぜ!衝撃!」という方向性で足並みをそろえて進んでいるようで、そこまではなんとなくこういう番組の方向性として分かる。勿論、子供をなくした親だったら他

    母は子を殺さない - FemTumYum
  • 調布ときどき日記

    調布ときどき日記