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ブックマーク / dj19.blog86.fc2.com (5)

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる

    日の水木サン』より 「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。 (彼女がナニカを排泄する様子の描写)

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 「慰安婦強制性否定の全面広告」にキレた

    日議員たち「慰安婦強圧なかった」WP全面広告 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=88414&servcode=200§code=200 (2007/06/15 中央日報) 日の従軍慰安婦問題に対する日政府の謝罪を要求する決議案が米下院に係留中だが、日議員約40人は14日、ワシントンポスト紙全面広告を通じて慰安婦動員に日政府や軍隊の強圧はなかったと主張した。 日自民党と民主党および無所属議員45人は教授、政治評論家、報道関係者らとともに出した「事実(THE FACTS)」というタイトルの広告に、日が当時、日政府や軍が慰安婦動員に介入したという文書を見つけられなかったとし「日軍が若い女性たちを性奴隷に追いやった」というマイク・ホンダ議員の慰安婦決議案内容は歴史的事実と違うと反発した。 日政府と軍は当時むしろ女性

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 筑紫哲也(朴三寿)というデマ

    2chで以下のような真偽の定かでないマルチコピペを見たことある人は多いと思う。 池田大作(→父:ソンジャンチョク、帰化人) (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績) 土井たか子(→李高順(帰化前の名)北朝鮮に親族多数 五島昌子(土井の秘書)名、渡辺昌子は通名、つまり、在日朝鮮人(元社青同活動家の話より) 辻元清美(帰化人、赤軍派) 筑紫哲也(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター) 多勝一(→崔 泰英:「南京大虐殺」虚報の中共工作員記者) 佐高信 (→韓 吉竜:極左評論家) 福島瑞穂(→趙 春花、帰化前の名:中核派) 永六輔(帰化人。反日活動、言動多し) 例えばこの中の ■土井たか子=李高順 説は? 月刊WiLL2006年5月号で元産経新聞記者・花岡信昭が、土井たか子=李高順という2chで流されたデマを事実のように書き、土井は花岡の記事を「事実無根の捏造 (ねつぞう)記事で、

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したよ

    [慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道 http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2) http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑→確信へ http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-66.html の続きです。 産経新聞が、5月5日付けの古

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 戦犯赦免運動による懇願署名が4000万人に達した?

    ウヨブログの歴史捏造を粉砕するつもりでしたが、産経の記事を取り上げることにします 【主張】靖国新資料 民意踏まえて読み解こう http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070330/shc070330000.htm (一部抜粋) 公表された新資料によれば、戦犯合祀に関する厚生省と靖国神社の協議が始まったのは、昭和33年からだ。戦犯の赦免を願う当時の民意を受けた協議だったと思われる。 サンフランシスコ講和条約発効(27年4月)後、戦犯赦免運動が全国に広がり、署名は4000万人に達した。28年8月、衆院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。こうした国民世論を受け、政府は関係各国の同意を得たうえで、死刑を免れたA級戦犯とBC級戦犯を33年までに釈放した。こうした戦後の原風景を思い起こしたい。 新資料では、戦前・戦中の合祀基準や、

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