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HistoryとITmediaに関するcx20のブックマーク (9)

  • 「98互換機」と黒船来襲――エプソンとNECの奇妙な関係

    世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。 「家」をしのぐ?互換機のスペック 今回ご紹介する写真はモノクロームである。わざとレトロな雰囲気を演出したわけではなく、手元に残っていたのがモノクロ写真だけだったのでご容赦をいただきたい。 だが、たとえ写真はモノクロームでも、この一件はぜひともコラムで取り上げたかった。なぜならば、日のパソコン市場の変遷の中でも、かなりの衝撃が走った出来事だったと思うからである。 時は1987年3月13日。セイコーエプソン(以下、エプソン)が、当時パソコンのベストセラーだったNECPC-9801Vシリーズの互換機「PC-286シリーズ」を発表した。いわゆる「98互換機」が初登場した瞬間である。当時、日のビジネスパソコン市場シェアの8~9割を占

    「98互換機」と黒船来襲――エプソンとNECの奇妙な関係
  • 1チップMSX発売記念! 「ザナック」、「アレスタ」

    一般販売が始まった1チップMSX 「1チップMSX」が遂に発売された。 以前「パロディウス」の回でも解説したが、MSXは1983年にスタートしたパソコンの統一規格だ。松下電器やソニーなど複数のメーカーから、MSX規格にのっとったパソコンが発売された。 1985年には、主にグラフィックを強化したMSX2規格のパソコンが作られるが、当時のPCではNECPC-8801、PC-9801が強く、また家庭用ゲーム機ではファミコンが強かった。結局その二大勢力に押されてしまい、MSXハードの発売は、1991年のFS-A1GTが最後となってしまう。 しかし、その後もMSXのファンは、ゲームの開発やイベント開催などの活動を行なってきた。そのことが今回の1チップMSXの発売につながった。 なお、CESA(社団法人コンピュータエンターテインメント協会)の小冊子「テレビゲームのちょっといいおはなし・2」に、MSX

    1チップMSX発売記念! 「ザナック」、「アレスタ」
  • Expired

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  • PC誕生から25年、業界を変えた25の製品

    8月のIBM PC誕生25周年に寄せて、eWEEK Labsはこの象徴的マシンを皮切りに登場した最も影響の大きい製品トップ10のリストを作ろうと考えた。だがそれはできなかった。そんな短いリストでは、あまりにも多くの革新を省き、あまりに大きな影響力のある革新を無視してしまうことになるからだ。 25周年に25の製品を選べば調和が取れるということで意見はまとまったものの、気付けばわれわれはテクノロジー史学者と争う辞書編者のような論争を展開していた。「影響の大きな」製品とは何か? 元祖でなければダメなのか? あるいは他者からまねるに値すると思われた最初の実装であるべきか? 自力で人気を獲得したものでなければならないか? あるいは売れたかどうかにかかわらず、「道を示した」ものであるべきか? Linuxは製品かアイデアか? Wi-Fiは製品かマーケティングキャンペーンか? リストから除いたものは、リス

    PC誕生から25年、業界を変えた25の製品
  • Windowsが日本で“離陸”した日

    「うわぁ懐かしい~ !」IT 業界に長年おられる人なら、思わずこう叫んでしまいそうなこの写真。パネルに大きく掲げられているように「Windowsコンソシアム設立発表会」と銘打った記者会見のひとコマである。 時は1989年8月2日。都内ホテルで行われたこの発表会のひな壇に上がったのは、当時の肩書きのままで紹介すると、左から東京電機大学の脇英世助教授、ソフトウィングの樺島正博会長、ソフトウェアジャパンの昆野晴暉社長、日ソフトバンクの孫正義社長、マイクロソフトの古川享社長、ジークの福井源社長の6人。 日ソフトバンク、ソフトウェアジャパンなど当時パソコンソフト流通会社として有力だった4 社に加え、Windowsの提供元であるマイクロソフトの代表者が一堂に揃い、この会の仕掛け人でもある脇氏とともに共同会見に臨んだこの日は、まさしく「Windowsが日で“離陸”した日」となった。 上記5社が発起

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  • ビル・ゲイツ氏の軌跡

    1955年10月28日:弁護士の父と教員の母の間に生まれ、米ワシントン州シアトルで2人の姉妹とともに育つ。 1968年:私立レイクサイド・スクール在学中に13歳でコンピュータプログラミングを始める。この学校で後にMicrosoft共同創設者となるポール・アレン氏と出会う。 1973年:ワシントンの実家を離れ、ハーバード大学に入学。プログラミング言語BASICを初代マイクロコンピュータ「MITS Altair」向けに開発。またこのころ、Microsoftの現CEO(最高経営責任者)のスティーブ・バルマー氏と同じ寮に住んでいた。 1975年:アレン氏とともにニューメキシコ州アルバカーキにMicrosoftを設立。大学を中退。以後2000年までゲイツ氏がMicrosoftCEOを務める。 1979年:アルバカーキからワシントン州ベルビューに会社を移転。このとき従業員30人、年間売上高300万ド

    ビル・ゲイツ氏の軌跡
  • 5Mバイトからのスタート HDD誕生から50年

    PCやデジタルレコーダー、音楽プレーヤーに搭載されているハードディスクドライブ(HDD)。今年9月、世界初のHDDの登場から50周年を迎える。この間、HDDの記録容量は飛躍的に拡大。今や企業の業務データからデジカメで撮った個人の思い出まで、あらゆるデータを保存するために欠かせないキーデバイスになった。 HDDは、磁性体を塗ったディスクに磁気を利用して電子データを記録する。米IBMによる最初のHDD「RAMAC」(Random Access Method of Accounting and Control)が誕生したのは1956年9月13日。24インチ(約61センチ)のディスク×50枚という巨大な装置ながら、記録可能なデータ容量は5Mバイトに過ぎなかった。 IBMのHDD事業を受け継いだ日立グローバルストレージテクノロジーズ(日立GST)によると、現在までの50年間で、HDDの記録密度は50

    5Mバイトからのスタート HDD誕生から50年
  • ITmedia News:Apple誕生から30年——その歩み、功績と課題

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  • あの日の輝きをもう一度――ノスタルジー上等! 時をかけるゲーム

    今と違い、二昔前のゲームセンターは夢が溢れていた…… その昔、ゲームセンターは夢の広がる世界だった。当時の家庭用ハードやパソコンでは絶対に再現不可能な、別次元のゲームを体験できる貴重な場所。不良のたまり場と言われつつも悪友たちとつるみ、時にはイケナイ場所からお金を拝借してきてまでゲームに没頭した……そんな思い出を持つ人もいるだろう。 今のアミューズメントスポットと違い、当時のゲーセンはテーブル筐体が数多く配置されていたため、照明を明るくするとライトが反射して画面が見えなくなってしまった。そのため照明は暗めに落とされ、妖しい雰囲気を醸し出す中で皆、ゲームに熱中したものだ。暗がりを利用してのカツアゲなども行われていたものの、そんなことがあっても行きたくなる場所、それがゲームセンターだった。 日々、50円玉や100円玉を投入しつつ同じゲームをプレイし、少しずつ上達しながら1コインクリアを目指す。

    あの日の輝きをもう一度――ノスタルジー上等! 時をかけるゲーム
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