おはよう。これは、いたち川。ここの川沿いは春になると桜並木が綺麗。 富山が空襲にあったときからあった、川で、松川と繋がっている。 富山は都会から疎開するひとが多かったらしい。 ばぁちゃんがいってた。ばぁちゃんも、富山市の中心から、田舎へ疎開したんだって。 だんだんそういう話知ってる人減ってるね。 http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/301010/kj00000272.html 新編 東洋的な見方 (岩波文庫) 作者: 鈴木大拙,上田閑照出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/04/16メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 34回この商品を含むブログ (34件) を見る 引用 東洋的心理は何事も内に向けようとする。東洋人は大体にイントロヴォルト(内向的人間)だ。西洋人はエキストロヴォルト(外向的人間)だ。どれで彼らの好奇心・研究心は外へ外へと向かっ
かんがえる人 (光文社文庫) 作者: 原田宗典出版社/メーカー: 光文社発売日: 1997/03メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (6件) を見るブックオフで購入 カッチョよさの謎 俺は風邪でのどが痛いのだ。しかしそれを我慢して試合に出るのだ。あああ、何てカッチョいいんだおれわあ!」 というアピールをしていたのである。今にして思うと・・・ 「これでいいのだ」 という確信が僕らにはあった。何故、あんなことがカッチョいいと思っていたのだろう?まったくもって謎である。 しかしながら、考えてみると、現在のぼくが信じている”カッチョよさ”というのも、クララ服用や短パンずり下げに似た滑稽さを醸し出しすものではなかろうか。 それを思うと、無闇にカッチョよさばかりを追求するのも虚しいものよのう、反省してしまうのである。諸君も気をつけろよ。 引用 なんとなくわかる。わたしも精神不安定に
昨日立ち読みしてそのままご購入。 13歳からの論理ノート 作者: 小野田博一出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2006/09/21メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 12人 クリック: 88回この商品を含むブログ (37件) を見る ”30分で読めて、一生あなたの役に立つ本” だそうです。絵がかわいい。けどこれ絶対大人用に作っただろとか思う。 はじめに 本書は「『論理的』の意味を完全に理解しよう」という目的の本です。 「この発言は論理的?」「この記述は論理的?」(そしてそれ以前の問題として、発言や記述の基になっている思考について)「この考え方は論理的?」などのような具合に、日常的に、とくに私たち自身の思考の中でよく使われるこの「論理的」という概念は、実はほとんどの大人には正しく理解されていません。「漠然とわかっているつもりであるものの、全然わかっていない人」がほとんどです(さ
みんなは、自分の状態のみじめさや、自分の活動の無意味さなど意識してもないかのように、 生きている。「あの連中か、さもなければこの自分が狂っているのだ」めざめた人間はこころの 中で言う。「しかし、みんなが狂っているはずはない、とすれば、狂っているのは俺のほうなん だ。だが、違うぞ。こういうことを告げてくれるこの理性的な自分が狂っているはずはない。 この自分がただひとり全世界を相手に立ち向かおうと、俺はこの自分を信じぬわけにはいかない」 こうして人は、魂を引き裂くような恐ろしい疑問をかかえたまま、世界中で自分が一人ぼっちな のを意識する。それでも生きてゆかねばならない。・・・・ そして、この分裂と苦悩の原因が彼には理性だと思えるのだ。 人間の生命に欠くことのできぬ最高の能力であり、人間を破壊する自然の力のただなかで、裸一 貫のよるべなき人間に生存の手段をも快楽の手段をも与えてくれる能力である理
かつてフロイトは、神経症者は論理感をもち得ぬ偏向した人間であると決めつけた。 彼は、”ドストイェフスキーは、人間の苦悩と葛藤を描き出して真実に迫るすばらしい 小説をかいたが、彼がもし神経症者あるいはてんかん者でなければ、論理的な思考の上 にたち、聖人になっていたであろう”という意味のことを語った。・・・・ ・・・・しかし、筆者はこのフロイトの考えに反対である。・・・・・ 筆者がドストイェフスキーに畏敬を抱くのは、彼が神経症的な不安・葛藤や、てんかん者 としての発作の前兆や発作を引き受けながら、なおかつ厖大な作品を創ったことである。 ・・・人間にはこのような汚い側面がある、このように残酷な側面がある、などというよう に、次々と人間の弱点を抉りながら、なおかつ否定できない崇高ななにものかにぶつかって いるのであり、そこにこそ彼は神をみようとしている。聖者が天啓を得て神をみるよりも、 もっと真実
アインシュタインはいっている_ぼくの相対性理論を理解できる者は世界に12名しかいない。 そのくせ、相対性理論を説明した本は山ほどに出版されている。 彼自身は相対性理論をつぎのように、ごく簡単に説明している_美人のそばにいると1時間いても わずか1分間のような気がするが、熱いストーブにかけていると1分間が1時間にも思える_これが つまり相対性原理なのです。 さあ、それが相対性原理だそうだ。ぼくにはなるほどよくわかるが、もし怪しいと思うなら テストしてみるのもよかろう。ぼくは美人のそばにいることにする。君は熱いストーブにかけたまえ。 ・・・・彼は物を考えるには秩序を尊ぶが、生活には何の秩序もないそうだ。やりたいことは いつだろうがやりたい時にやる。日常生活の原理はふたつしかない。第1は、規則は絶対に作るな。 第2は、他人の意見に左右されるな、である。 ・・・・彼は、どうも非常に幸福な人らしい。
日本では長い間、「人間のさまざまな典型については社会の実例よりも、漢籍に 書かれた古代中国社会に登場する典型群を借用するのがつねであった。」 これと関連あることだが、司馬さんは、「日本人が中国の史書から学んできた 『後世意識』も同時に失ったのではないか」といったことがある。「後世意識」とは 「いま行っていることは、のちの時代にどう評価されるかを意識して出処進退をきめる 行動規範、もしくは行動美学」といっていいだろう。・・・すべての事情が公になり、 あまねく知られても、自らの行為に恥じるところがないか、やましくはないか、潔い かを意識することであり、中国の史書には伝統的にこういう人物が好んで描かれている。 司馬さんの発言は、まずは後世どころか、すぐに底の割れる謀略を重ね続けた、昭和に なってからの帝国陸軍の高のくくり方、臆面のなさに対してであったであろう。しかし これは現代にいたるまで、自分
小さい頃、日本人は何を考えているかわからないとか感情を表に出さないとか よくテレビで外国の方が日本人の理解できない部分を討論する番組が流行っていた。 その頃は、テレビがすべて、テレビは真実だとおもっていたのでその考え方を信じ 日本人って優柔不断だとか感情表現が下手で外国の方にバカにされているんだと いう考えをうえつけられた。でも、最近は武士道ブームやサムライブームでまた その考えは覆っている。メディアの力はすごい、人を操ることができるんですね。 克己_自分に克つ 大人物は喜怒を色に表さない 武士道は、一方において不平不満をいわない忍耐と不屈の精神を養い、他方においては他者の 楽しみや平穏を損なわないために、自分の苦しみや悲しみを外面に表さないという、礼を重んじた。 この二つが一つになってストイックな心を育み、ついには国民全体が禁欲主義的な性格を形成した。 ・・・・・・日本人の習慣や習俗のあ
finalvent氏から、拙著への書評をいただいた。彼は私と同世代なので、マルクスを軸にして私の議論を理解したのだと思うが、これは当たっている。実は私も、ドゥルーズではないが、死ぬまでにマルクスについての本を書こうと思っている(出してやろうという版元があればよろしく)。サイバースペースに見えてきた世界が、彼のいう「自由の国」に似ているからだ。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた(『ゴータ綱領批判』)。これは彼のユートピア的な側面を示すものとしてよく嘲笑されるが、サイバースペースでは、人々がOSSを開発するのもブログを書くのも生活手段ではないだろう。労働が目的になれば、マルクスも予言したように貨幣(賃金)は必要なくなる。またデジタル情報に稀少性はないから、「協同的な富が過剰に湧き出る」ので、財産権には意味
生きものには、「今、ここ」から 先しか自由が与えられていない。 過去の時間は、どうしても動かす ことはできない。 脳の記憶のシステムにとっては、 「過去を正確にとどめておく」 こと自体に価値があるのではない。 「今、ここ」からの先の時間を よりよく生きるために、 記憶は編集され、書き換えられ、 整理・統合されるのである。 だから、過去を振り返って ばかりいても仕方がない。 「今、ここ」から先に 起こることに、前のめりで向かいあう べきだ。 とは言いながら、人間にとって、 過去のことがどうしても 心の中に残ることがある。 江村哲二さんの『可能無限への頌詩』 の録音を聞きながら移動した。 自分がリサイトしていることも あって、 なんとなく、聴き返してみる気持に なれなかった。 それが、絶対の別れに直面して、 聞かなければならない気持になった。 今思えば、鬼気迫る。 精神が鳴動し、震える。 そし
社会主義とはなんなのか。共産主義とはなにが同じで、なにが違うのか。 わかっているようで、意外とわからないテーマです。 このテーマを歴史的かつ国際政治的に解明した書『民主社会主義への200年』(一藝社刊)が出ました。いまの世界の思想を理解するにはきわめて有益な書だと思い、ここで取り上げることにしました。 副題は『フランス革命からポスト冷戦まで』。 著者は日本での社会主義研究の権威、関嘉彦氏です。 関氏は2006年5月に93歳で亡くなりました。都立大学の教授から民社党の結党にもかかわり、民社党選出の参議院議員をも務めました。 関氏は河合栄次郎門下のりべラリストで、自由民主主義への信奉という立場からマルクス・レーニン主義の全体主義の教えには批判的でした。その一方、複数政党性を認める民主社会主義にも理解を示していました。 東西冷戦中、日本の知識人の多くが米国とソ連のイデオロギー面での
第1回 5/26(土)14:00〜 「ジュンク堂と私」 満員御礼 第2回 6/2(土)14:00〜 「『自壊する帝国』ができるまで」 満員御礼 第3回 7/7(土)14:00〜 「国家とは」 満員御礼 第4回 9/8(土)14:00〜 「神学とは」 満員御礼 第5回 11/3(土)14:00〜「チェコの思想とドストエフスキー」 満員御礼 第6回 12/1(土)14:00〜「半年をふりかえって 閉店のことば」 満員御礼
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