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これはひどいと歴史に関するdameganoのブックマーク (16)

  • 現在の日本に織田信長のような「創造的破壊者」が絶対必要なワケ(大原 浩) @gendai_biz

    「殺してしまえホトトギス」! まず、次の3つの句を読んでいただきたい。 信長:「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」 秀吉:「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」 家康:「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」 この句は戦国三武将のそれぞれの性格を端的に表すものとして有名だが、「殺してしまえ」という信長の過激さは当だろうか? 確かに信長が旧弊にとらわれず、新しいものを次々と取り入れ「改革」に邁進したのは事実だ。そのための破壊もいとわなかったが、その破壊は必ず「より良い再生」が行われるという確信をもって行なわれた。 つまり、信長の「破壊には大義」があったのだ。信長のもともと持っていた性質もある。しかし、彼が傍若無人にふるまうように見えたのは、旧弊(利権)にしがみつく抵抗勢力をブルドーザーでなぎ倒していったからなのだ。 11月4日公開の「菅義偉首相は『いろいろな意味で』豊臣秀吉になれるのか?」で

    現在の日本に織田信長のような「創造的破壊者」が絶対必要なワケ(大原 浩) @gendai_biz
    damegano
    damegano 2020/11/10
    「創造的破壊者」なんて、こんな旧態依然とした信長像を今どきだれが書いているんだと思ったらやっぱり歴史の素人。俗説旧説だらけ。信長は保守的で既存の権威を大事にして利用する人だったんですよ……。
  • 太田道灌VS豊島兄弟が激戦を展開「江古田原の合戦」は東京の局地戦 | 日刊大衆

    damegano
    damegano 2020/06/14
    「下総の古河に蟠踞していた足利成氏が」→当時は鎌倉公方です。「足利政知を両上杉が支え」→相模の扇谷上杉の所領について利害対立してます。
  • 「麒麟がくる」の"美濃の蝮"斎藤道三はなぜ、油売りから国主になれたのか 損保会社社長も驚く大胆規制緩和

    「興味を持ったきっかけは、私が小学6年のときに斎藤道三が主役のNHK大河ドラマ『国盗り物語』の放映が始まったこと。家族揃って見ていたら、中学に入るときに母親が司馬遼太郎の原作の小説を買ってくれましてね。私が生まれたのは岐阜の郡上八幡という奥美濃の田舎で、名古屋へ引っ越してからも父の仕事の関係でよくこの地を訪れていましたから、作中に出てくる地名も馴染みのあるものばかり。道三が拠点とした稲葉山城がある金華山をはじめ、土岐や清洲なども土地勘があるので、すぐ物語に引き込まれました」 斎藤道三は一介の浪人から京都の油売りを経て、やがて美濃の国主にまで上り詰めた人物。まだ名もなき若者の頃から「いつか一国の主になる」と思い定めた道三は、その優れた武芸と才覚で頭角を現し、謀略を重ねて邪魔者を排除しながら自分の目的に向かって突き進んでいく。そしてついには、自分を信頼し腹心として引き立ててきた守護大名・土岐頼

    「麒麟がくる」の"美濃の蝮"斎藤道三はなぜ、油売りから国主になれたのか 損保会社社長も驚く大胆規制緩和
    damegano
    damegano 2020/03/22
    道三に関する知識が最新の研究に全くアップデートされないまま語っている。こういうことは半可通の社長じゃなくて歴史研究者に聞きなさいよ。
  • 通説が覆された本能寺の変 『麒麟がくる』はどう描くのか(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    damegano
    damegano 2020/01/14
    何周遅れの「通説」だ?というひっどい記事。記事中で引用されてる桐野氏は黒幕説をとっくに取り下げてるよ。最新の概説書を読んでない。知識のアップデートのないことが丸わかり。
  • 天下統一を夢見た織田信長(nippon.com) - Yahoo!ニュース

    damegano
    damegano 2020/01/06
    何年前の信長観・戦国観ですか、これ?最新の研究に知識をアップデート出来ていないのが丸わかり。でもこういう記事を信じて信長や戦国を語りたがる人多いだろうなぁ……。
  • 大河ドラマ『麒麟がくる』満喫リポート|【戦国史のおさらい(1)】「桶狭間合戦」のきっかけを作った 武田×今川×北条の「三国軍事同盟」 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    damegano
    damegano 2019/12/21
    「氏直が秀吉との戦いで敗れて切腹するのは」氏直は切腹してません。疱瘡が原因で亡くなってます。こんな「おさらい」で学ぶ必要はありません。書いたライターバカすぎる。
  • 「映画秘宝」休刊へ 発行の洋泉社、宝島社と合併で解散:朝日新聞デジタル

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    「映画秘宝」休刊へ 発行の洋泉社、宝島社と合併で解散:朝日新聞デジタル
    damegano
    damegano 2019/12/18
    「「洋泉社MOOK」「新書y」「歴史新書y」といった洋泉社のレーベルも合併後に発行する予定はないという。」マジか……。ショック……。「○○研究の最前線」シリーズ良かったのに……。
  • 新発見の石器から「最初のアメリカ人は日本から来たかもしれない」説が急浮上

    これまでの定説では、最初に北アメリカ大陸にやってきた人類は1万3000年前に栄えたクローヴィス文化の時代の人々だとされてきました。そんな中、新たにアメリカで発見された石器の分析から、これまでの常識を覆す新説が浮上しています。 Late Upper Paleolithic occupation at Cooper’s Ferry, Idaho, USA, ~16,000 years ago | Science https://science.sciencemag.org/content/365/6456/891 Stone tools suggest the first Americans came from Japan | Ars Technica https://arstechnica.com/science/2019/08/16000-year-old-site-in-idaho-in

    新発見の石器から「最初のアメリカ人は日本から来たかもしれない」説が急浮上
    damegano
    damegano 2019/08/31
    タイトル詐欺。日本の遺跡の石器と類似性があるだけで、「関連性があるとみなすべきではない」「今後の研究次第」と本文にあるのに、どうしてこんなタイトルになった。
  • 「江戸城の防御力は世界最高レベル」 授業では習わなかった「お城のスゴいところ」を専門家に聞いてきた

    お知らせ 記事の内容について、読者から「事実誤認や疑問点がある」とのご指摘を受け、内容を検証した結果、誤りのある記述が複数箇所認められたため、記事文を取り下げいたします。(2019年5月30日19時) advertisement Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

    「江戸城の防御力は世界最高レベル」 授業では習わなかった「お城のスゴいところ」を専門家に聞いてきた
    damegano
    damegano 2019/05/27
    すごいなこの記事。考古学者のSさんが実在するのなら、その見識を疑うレベル。ライターが権威づけにでっち上げて自分で書いたんじゃないの?
  • なぜ…?日本の二大開祖「空海と最澄」が絶縁に陥った「深刻な事情」(週刊現代) @gendai_biz

    風向きが変わったのは空海の帰国後、806年ごろだった。国内の皇族や貴族が、最澄が主として学んできた天台教義ではなく、空海が留学先で修行した密教に興味を示したのだ。 密教に造詣の深くない最澄は困り果てた。そこで、プライドを捨て、7歳下で、身分も低かった空海に「弟子入り」する。両者の交流が格化したのはこのころからだ。 だが、最澄自身もまた、多くの弟子を抱える身。直接空海に面会し、修行することは難しかった。そこで、文字を通じて密教の心得を教わるべく、空海に何度も手紙を送る。 そんな最澄に対し、空海は「密教は体験によってのみ学ぶことができる」と冷ややかな態度を取り続ける。空海は僧としては最澄よりも「格下」。最澄は怒りをこらえ、自分の一番弟子を空海のもとに派遣し、弟子を通して密教を学ぼうとした。 だが813年、最澄の堪忍袋の緒が切れる。きっかけは、空海の持つ密教の経典『理趣釈経』を、最澄が借りよう

    なぜ…?日本の二大開祖「空海と最澄」が絶縁に陥った「深刻な事情」(週刊現代) @gendai_biz
    damegano
    damegano 2019/05/18
    冒頭「最清」の誤字に嫌な予感がしたが内容もひどかった。空海が最澄を拒絶したのは経典に頼る理論先行タイプで実践重視の空海と密教認識が根本的に違ってたから。そして弟子泰範が空海の密教認識を選んだから。
  • タレントの竹田恒泰氏「聖徳太子は中国皇帝とのやりとりに日本の元号を使った、外務省こそ元号を重んじろ」→聖徳太子の時代に元号はありません | Buzzap!

    タレントの竹田恒泰氏「聖徳太子は中国皇帝とのやりとりに日本の元号を使った、外務省こそ元号を重んじろ」→聖徳太子の時代に元号はありません | Buzzap!
    damegano
    damegano 2019/04/04
    小学生でもわかることもわからないネトウヨ芸人。「歴史研究者は極左集団」という前にまず自分が歴史を学べ。明治天皇はこの血統を後嗣にしないで本当に良かったね。親子揃って……。
  • 在野の歴史研究家に望むこと

    週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? 上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状) と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである

    在野の歴史研究家に望むこと
    damegano
    damegano 2019/03/22
    「私はあなたのような無知な人間を相手にするほど暇じゃ無いのでひっこんでていただけませんか」をオブラートに包むとこういう言い方になるのか。論戦中のI沢氏やH郷先生に比べて小物すぎる。
  • 【正論4月号】天皇を守った英雄たち 明智光秀「本能寺の変」は義挙だった 評論家 宮崎正弘(1/3ページ)

    歴史解釈の陥穽隠蔽された真実 明智光秀は尊皇の武将だった。 歴史は合理主義では合点がいかない神秘性を伴う特質があるが、現代日人は気がつかない裡に戦後の怪しい歴史観に汚染され、洗脳されてしまった観がある。いやもっと正確に言えば、明智光秀に「主殺し」という汚名を被せ、秀吉がなした歴史改竄の誤謬に気がつかず、妄説から目覚めていないのである。 現代日人は進歩主義歴史観に洗脳されてしまったばかりではない。マルクス主義の階級史観や左翼の進歩主義史観の悪影響もさりながらもっと基的な歴史解釈の誤りに基づいている。その典型が明智光秀への誤断であろう。 世の中を蔽った、戦後の面妖な歴史観が基的に間違いであることは言を俟たない。たしかにマルクス主義の進歩史観の悪戯も大きいし、GHQの「太平洋戦争史観」「東京裁判史観」の呪縛からもいまだに抜け出せないでいる。 しかし、もうひとつ大事なことは現代日人の学

    【正論4月号】天皇を守った英雄たち 明智光秀「本能寺の変」は義挙だった 評論家 宮崎正弘(1/3ページ)
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    damegano 2019/03/12
    “それにしても日本の歴史学界の知的貧困たるや目を蔽うばかりだ。”それにしてもネトウヨの知的貧困たるや目を蔽うばかりだ。何の裏付けも無い「ぼくのかんがえるれきしのしんじつ」でしかない
  • 天下人の「人を見抜く方法」~信長・秀吉・家康に学ぶ人材活用

    能力主義に徹した織田信長 織田信長が岐阜に拠点を定めていた頃の話だ。メキメキと頭角を現わしはじめた信長は、美濃国(岐阜県)から近江国(滋賀県)の豪族たちを支配しはじめた。豪族たちは、信長のところに息子を人質に出した。多いときは、百人くらいの人質がいたという。 信長は、こういう少年たちといろいろな話をしたり、自分の経験を語ったりするのが好きだった。が、そんなときにも信長は、鋭い目で少年たちの資質を見抜こうとした。少年たちにもやがて信長の意図が伝わった。そのため、信長が、 「今日はこういう話を聞かせてやる」 と言っても、決して信長の話を楽しんでばかりはいられなかった。 (わたしたちは信長さまに試されている) という緊張感を持ちつづけていたからだ。 こんな試し方をされたことがある。 「三人来い」 信長は人質の部屋に声をかけた。三人の少年が出てきた。中に近江国日野城主の息子の蒲生氏郷が入っていた。

    天下人の「人を見抜く方法」~信長・秀吉・家康に学ぶ人材活用
    damegano
    damegano 2019/01/26
    いまどき何周遅れだという三英傑の解釈。自分のイメージに沿った作り話でそれらしくまとめるならば「歴史街道」なんて看板を下ろした方が良い。これだから作家は……となってしまう。
  • 富士山測候所:日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊 | 毎日新聞

    気象庁富士山測候所の職員が68年間つづった40冊以上の「カンテラ日誌」が所在不明になっていた問題で、同測候所を管轄した東京管区気象台は毎日新聞の取材に、昨年11月以降に「文書整理の一環」で廃棄していたことを明らかにした。気象観測のほか、眼下の空襲など太平洋戦争も記録した貴重な資料が失われた。閲覧したことがある気象専門家らは「職員が見たまま感じたままを率直に記した第一級の歴史資料だった。機械的に捨てるなんて」と批判している。 同気象台総務課によると、日誌は昨年11月までは倉庫にあったが、他の行政文書と一緒に溶解処分したという。取材に対し同課担当者は「毎日の出来事や感想を個人的に書き留めたもの。職務ではなく、行政文書に当たらない。庁舎内のスペースは有限で、必要ないものを無尽蔵に保管できない」と説明した。

    富士山測候所:日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊 | 毎日新聞
    damegano
    damegano 2018/08/10
    ばっっっっっっっっっっっっかじゃないのか!!!霞ヶ関は文書に対しての意識が著しく低すぎる。
  • 山本勘助と真田幸村。時代劇のスターは歴史学では厄介者?(PHP Online 衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース

    勘助と真田幸村といえば時代劇のスターといってもよいでしょうが、実はこの二人、日歴史学の上では厄介者扱いなのです。 山勘助、つまり武田信玄の「軍師」としての勘助は、かつて歴史学界では存在を否定されていました。「伝説上の人物」だというのです。確かに軍師という言葉はもともと中国語で、日の戦国時代にはそういう言葉は使われていなかった可能性は高いのです。しかし、それは勘助が存在しなかったということとは全く意味が違います。にもかかわらず、歴史学界は「勘助は実在しなかった」という説を採用していました。このため作家、海音寺潮五郎氏は小説『天と地と』を書くにあたって、山勘助を登場させませんでした。歴史学界の悪影響を受けてしまったのです。 なぜ歴史学界は勘助の存在を否定したのでしょうか? 理由は簡単で「同時代の史料に勘助が登場しない」というものでした。いかに状況証拠で勘助が存在したと推論できても

    山本勘助と真田幸村。時代劇のスターは歴史学では厄介者?(PHP Online 衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース
    damegano
    damegano 2018/08/04
    “※本記事は、井沢元彦著『学校では教えてくれない日本史の授業 謎の真相』「まえがき」より、抜粋したものです。”著者の時点でお察し案件。はい、解散。
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