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ブックマーク / note.com/toba_torakitsune (3)

  • 受験後遺症の大人たちが子どもを追い詰める|鳥羽和久

    学生時代を遥か昔に通り抜け、中年と呼ばれる年齢になった大人たちが、「勉強」という言葉の中身を学生の頃のイメージのままに温存していることに驚くことがある。 先日、子どもが勉強に興味を示さない悩みを抱える中学生の母親から相談を受けた。私は、親が日常的に自ら勉強する姿を見せることが効果的ではないかと答えた。すると、母親は「私も実は〇〇の資格の勉強をしている最中なので、頑張っている姿を見せれば、うちの子も少しはやる気が出るかもしれませんね」と話した。 この母親は何か間違いを犯しているわけではない。親の努力が子どもに刺激を与え、勉強へのモチベーションを高める可能性は十分にある。しかし、このとき私が伝えたかった「勉強」のニュアンスは母親にまったく伝わっていないことに気づいた。そして、この「伝わらなさ」の中身が、日社会全体のある傾向を反映しているように感じられた。 日では大人になっても「勉強」観をア

    受験後遺症の大人たちが子どもを追い詰める|鳥羽和久
    danse
    danse 2024/10/06
    “しかし、私たちが過去の地層の中に置いてきた「つくる」ことは、現代の競争社会への抵抗手段となり得る。”
  • 傷つきやすさについて|鳥羽和久

    昨日、「うちの親、死ねばいいのにー」と大きな声で言ってる中学男子がいて、そしたら、となりの別の男子が、「死ねばっ、ネバ、ネバ ♪」と歌い出して、最終的に、2人で「死ね ♪」「ネバ (never) ♪」という掛け合いになって面白かった。 — 鳥羽和久 KAZUHISA TOBA (@tobatoppers) February 4, 2019 随分前にこのツイートをしたのだが、その数日後に教室の前で会ったあるお母さんから、「先生、うちの親、死ねばいいのに、とか書かない方がいいですよ。どの親が見ているかわかりませんから」と言われ、どの親というかあなたですよね、と思いながらその場では何も言えず、その後しばらくモヤモヤとした気持ちを抱え続けた。 中学生の子どもたちは、たやすく「うちの親、死ねばいいのにー」と言う。正確には、言うタイプの子と、冗談でも決して言わないタイプの子がいる。僕は「言わないタイプ

    傷つきやすさについて|鳥羽和久
    danse
    danse 2024/02/12
    “僕はそのお母さんに「書かないほうがいいですよ」ではなくて、「私は書いてほしくなかった」「私は傷ついた」と言ってほしかった。”
  • それがやさしさじゃ困る|鳥羽和久

    1 昨日の夕方に、ある新聞社から取材を受けたが、その際に「子供を分析しすぎるのはよくない」という話をした。 発達障害の子供が劇的に増えたことからも明らかなように、平成、令和の間に変化したのは、どちらかというと子供ではなく、子供に対する見立ての方である。今の子供たちは大人に分析されすぎていて、それが「配慮」という新しい管理の口実になっている。どんな子供かわからないままに、勝手に遊ばせておくという当たり前のことがそうではなくなっているのは、大変なことだと思う。 今の時代は、とにかく偶然的な未来を嫌う。イレギュラーは混乱のもとなので、前もって整えておくのがやさしさだと言われる。しかし、これは諸刃の剣である。既に配慮しているんだから、あなたの方もこっちが不快にならないように配慮して、という目に見えない外圧が世間をすっかり覆っているのだ。私は、こういう趨勢で割りをう人たちをマイノリティと呼びたい。

    それがやさしさじゃ困る|鳥羽和久
    danse
    danse 2023/12/14
    “社会の表面的なやさしさと、今の子供たちのやさしさは、パラレルに繋がっている。”
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