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ブックマーク / shinzor.hatenablog.com (68)

  • 「官僚は頭がいいんです」って,何がいいたいのか - shinzorの日記

    ■情緒的批判の毎日記事 避難解除:「官僚は頭がいいんです」、判断押し切る 福島 http://mainichi.jp/select/news/20140224k0000e040240000c.html この記事は一体何を問題にしているのですかね。なんとなく記者は避難解除反対の立場の様ですが,はっきりと書いてはありません。というか,そんなことは当然の前提なので説明するまでも無いという雰囲気も感じます。一応文字通り読めば,頭の良い官僚によるシナリオ通りの茶番説明会批判です。 最初に反対意見を語らせ、中盤に賛成意見が出たところで帰還派の住民に解除を提案させ、政府側が「4月解除」の方針を一斉に言い渡す??。「解除反対」が半数以上とみられる住民たちは「国の判断」で押し切られた形だ。会合は当局への不信感という禍根を残すものとなった。 やり口が汚いということで,国の方針の内容に関係無いのでしょうか。であ

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    daybeforeyesterday 2014/02/28
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  • 下から7割の人はご用心 - shinzorの日記

    下から7割の人のための理科&算数教育 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225 大胆に要約すると,ちきりん氏は能力に応じた画一的ではない教育を主張しています。例えば,階級社会の伝統が残る英国は画一的でない教育をしていますが,それをお望みかもしれません。日でも,従来の画一的受験コース離れの結果かどうか断言できませんが,社会の格差が大きくなっています。 従来の日教育は,軍隊をモデルとした画一的知識を詰め込む方式でした。大量に均質な社会人を効率的に生産するためで,その意図は成功し,世界的にはまれに見る平等な社会が形成されました。しかしながら,欠点も当然あり,詰め込み教育,個性無視と批判され,自由度の大きいゆとり教育に舵取りが行われました。それに並行して,個性重視の風潮で,身に職を付ける専門学校に人気が出ました。別に大学進学だけが人生ではないという全くの

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    daybeforeyesterday 2014/02/28
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  • 芸(術)がない - shinzorの日記

    靖国参拝批判の作品、撤去要求 東京都美術館 2014年2月19日07時50分 http://www.asahi.com/articles/ASG2L5HHSG2LUTIL033.html 東京都美術館(台東区)で開催中の現代日彫刻作家展で、安倍政権の靖国参拝などを批判した作品の撤去を同館が求めていた。主催者は「表現の自由を侵害する」と反発したが、同館は「政治的な宣伝という苦情が出かねない」とし、協議の末に作品の一部が削除された。 作家展は15〜21日、約60点を展示。同館が指摘したのは、主催した現代日彫刻作家連盟の中垣克久代表の「時代(とき)の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA円墳―」。高さ1・5メートルのドーム状の形で、作品として「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して、もっと知的な思慮深い政治を求めよう」と手書きの紙を貼っていた。 館の運営要綱

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    daybeforeyesterday 2014/02/22
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  • 視聴率を稼ぐ方法 - shinzorの日記

    首相が大雪の緊急事態に高級料亭天ぷらをしていたと物議を醸しました。 ポッキー 憲法改悪原発再稼働許さない ‏@pokky0808 · 2月17日 貴方の親御さんや恋人が凍死してもそう言える?“@kikumaco: 首相はそんなにいろんなことの陣頭指揮を取ってはいけないと思う。大災害のさなかにも外交や経済は動いている。それぞれの担当者がそれぞれの指揮を取るべきではないかな” 首相が陣頭指揮を執れば,凍死する人が減るかというとむしろ逆,というような事は多くの人が言っているのでここでのテーマではありません。親,恋人,子供などをダシに使うやり口は確かに感情に訴えるけど,ウンザリというのがテーマです。 最近も「原発から子供を守ろう」という看板を見ました。別に被害者は子供に限りませんが,やはり弱い子供を強調しないといけないのですね。ドラマで泣かせるために子供と動物を使うのに似ています。子供や動物は弱

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    daybeforeyesterday 2014/02/20
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  • ETCのヒューリスティックな予測は外れた - shinzorの日記

    ETC議論を振り返る 今や90%近く普及したETCですが,導入当初は激しい批判に晒されていました。2001年頃にはETCに疑問を感じていた人も多いのではないでしょうか。今はどうでしょうか。ふとしたことで,昔の議論を思い出しました。普及したという結果が出た今,当時の議論を総括するのも意味があると思い,まとめました。 ■当初は普及せず,反対意見が多かった 当時は,ETCを批判する「ETC逝ってよし」とか「有料道路研究センター」などのサイトがありました。後者は今も批判を続けています。メジャーの新聞も料金所のETCレーンがガラガラで一般レーンが大渋滞の写真を掲載して,「税金の無駄使いなど」と結構批判していました。行政がほめられることなんて殆ど有りませんから,これは宿命でしょう。 また,国交省のサイトには道路行政への意見を発言出来る掲示板があり,ETCについての意見も掲載されていました。批判的意見

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    daybeforeyesterday 2014/02/05
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  • 捕鯨広報の困難さ - shinzorの日記

    捕鯨の公報活動は極めて困難に思えます。 IWCは,元々捕鯨国の集まりでした。捕鯨国同士は利害関係があります。一国が乱獲すれば,他の捕鯨国が困りますので,漁獲高割り当て,資源保護の取り決めをするのが目的でした。鯨が絶滅すれば困るのは捕鯨国です。それに対して非捕鯨国には利害関係は殆どありません。鯨が絶滅しても,ホエールウォッチングが出来なくなる程度で,別に大きな影響はありません。にもかかわらず,IWCに加盟するのはなぜかというと,国内の選挙対策でしょう。 環境問題,動物愛護は有権者の感情に訴える効果的な政策です。政治家は反捕鯨が文化の押しつけであることを理解していても,反捕鯨の旗を降ろすわけには行きません。票が逃げるからです。この事から,公報活動は,一般人に対してアピールするものでなければなりません。さらに「文化のおしつけだ」という小難しい理屈では駄目で,感情に直接訴えるものでなければ効果があ

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  • 捕鯨の正当性を国際世論に訴えられるか - shinzorの日記

    反捕鯨は,全くの情緒的反応でなんら正当性がないと思います。ネット上では人種差別,文化差別であるという極論も見られますが,あながち極論でもないのではと。優劣や是非を付けられない文化について,自分たちの文化以外は劣った文化であるとみなし,「野蛮なことは止めなさい」と押しつけているわけですから。 しかし,捕鯨や鯨が,そのようなお節介から守るべき重要な文化であるのかも疑問です。個人的には,鯨は肉の代用品であり,決して好んでべたいと思う代物ではありませんでした。私以外の消費者にとっても,マグロなどとは相当違う位置付けであると思います。少なくとも,鯨がべられなっても日人の生活に大きな影響を与えるとは思えません。イルカにいたってはべたことの有る人はわずかでしょう。 消費者に対する影響はその程度だと思いますが,生産者への影響はどの程度でしょうか。そもそも,捕鯨産業というのは今でも存在している

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  • 絵から読み取れるもの - shinzorの日記

    (前エントリから,なんとなく続く) さて,「人工知能」の表紙絵はイラストであって,いわゆる芸術ではありません。何らかを説明する意図,目的があるものです。そのテーマは言葉で説明されるものです。さらに,絵を見た人が感じた不快感とは「差別」に関わるものですから,絵画的なものではなく,言葉で説明出来るものです。つまり,「説明図」としての是非が話題になっていたのであって,前のエントリーで説明した「絵画的感覚」の問題ではないのですね。となると,比較的技術的視点から是非を論じられる筈です。説明図として機能を果たしているかということです。しかし,設計図や図解図面という程のものではなく,あくまでイラストです。せいぜい論じられる是非とは,「デザイナーが伝えたかった意図は伝わったか」でしょう。 これは,デザイナーの能力の評価に過ぎず,意図や思想の是非ではありません。現代日において,デザイナーが「女性蔑視の意図

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    daybeforeyesterday 2014/01/11
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  • デザイナーの意図 - shinzorの日記

    人工知能」の表紙への反応に対する「お詫び」を人工知能学会が表明しましたが,その中に,デザイナーによるデザインの意図も示されています。 http://www.ai-gakkai.or.jp/%E3%80%8C%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B%E3%82%84%E8%AD%B0%E8%AB%96%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6/ なんというか,絵の解説を言葉ですることに昔から違和感というか釈然としないものを感じていました。今回の場合も「意図」の説明によって,不快感が和らいだり,増したりするのか疑問に思うのですね。もし,そのようなことが有

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    daybeforeyesterday 2014/01/11
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  • 自分自身に関する「秘密保護法」 - shinzorの日記

    「「化学物質過敏症って心因症なの?」に対するお返事」 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00131123#c のanan1477さんコメントを読むと、病気が良くなるか、安心感は得られればよいのであって、議論をしたいのではないということがよくわかります。とにかく患者の気持ちを乱すようなことは言って欲しくないわけで、それが科学的に正しいかどうかはあまり重要ではないということだと思います。 例えば、ダブルブラインドテストは化学物質過敏症には適切ではないと思うが、ダブルブラインドテストがどういうものかはよく知らないと、議論としてみればめちゃくちゃなことをおっしゃいます。でも、議論をしたいわけじゃないのですね。「自分の病気に対する世間の無理解で随分苦しんでこられたわけです。そこへ、「化学物質過敏症」との診断で助けられたと感じられたのだと思います。ところが、ダブルブラインドテス

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    daybeforeyesterday 2013/12/10
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  • NHK受信料訴訟判決 - shinzorの日記

    ■法令で契約を強制されるという例は,多分他にはない NHK受信料訴訟高裁判決が話題になっていますが,地裁判決は6月に出ています。次の引用はそのときの記事です。 人が拒んでも「受信契約成立」 NHK訴訟判決はアリなのか? http://www.bengo4.com/topics/531/ ――そういった例は、よくあること? (略) 「いえ、法律で契約を強制されるというのは、極めて例外的な事態というべきです。私たちには自由意思がありますからね。 似たケースとしては、東日大震災で注目された『原子力損害の賠償に関する法律』がありますね。この法律には、原子力事業者は、必ず損害保険契約をしておかなければならないという定めがあります(7条)。万一原発事故で、多額の賠償が発生した場合にも、事業者が着実に支払うよう備えさせるという点で、その趣旨は理解できます」 (略) 「原償法」は,発電事業者が保険会社

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    daybeforeyesterday 2013/12/03
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  • 趣味と産業 - shinzorの日記

    次のブログを読んで思ったことです。 バッタもん日記 実は環境にも人間にも優しかった現代文明 −物は言いよう− http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20131126/1385475712 ■人間が環境に優しいのか、環境が人間に優しいのか 元記事は、現代農業は環境や人間に優しいかというテーマでした。人間に優しいとは、当然、現代の生きている人間に優しいということで意味は明確ですが、「環境にやさしい」というのは少し曖昧です。 「環境に優しい」という意味には,人間が手を掛けて「環境」を保護する立場と,出来るだけ干渉せず(全く無関係はありえないから)自然のままに放って置くという立場がありますね。後者の立場では,絶滅する生物は絶滅するに任せますし、人間に危害を与えるものも放って置きますから、人間には優しくありません。この立場は、学術的興味から限定的に行われています。 一方、

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    daybeforeyesterday 2013/12/01
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  • エスカレーターは階段ではない - shinzorの日記

    意識は自分を知らない 「意識は傍観者である」(デイヴィッド・イーグルマン,太田直子訳)というに次の記述があります。 車線変更 あなたの脳が知っていることと,あなたの心がアクセスできることのあいだには,底知れない溝がある。車を運転しているときに車線を変更するという単純な行動について考えてみたい。目を閉じて,頭のなかのハンドルを握り,車線変更の動きをやってみよう。左車線を走っていて,右車線に移ろうとしているところだ。読み進める前に,実際にを置いてやってみてほしい。きちんとできたら100点をあげよう。 かなり簡単な課題でしょう?私の予想では,あなたはハンドルをまっすぐにして握り,それから少しのあいだ右に切って,それからまたまっすぐに戻した。簡単だ。 ほとんどの人と同じように,あなたは完全に間違えている。ハンドルを少し右に回して,それを元のまっすぐな状態に戻す動きでは,車は道路をはずれてしまう

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    daybeforeyesterday 2013/09/22
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  • 難病であるうちは - shinzorの日記

    地震予知や終末の預言者予言者は、予言が外れても気にする様子はありません。新たな予言を行い、当たる迄続けるだけです。予言や占いは大量に行うのが、ミソです。外れた場合は無視し、当たった場合を強調、宣伝すれば良いのです。たまたま当たったとしても、何か根拠があって予想したわけではありませんから、特に先見の明があったわけでもありません。 歴史を調べると、偉大な発見や業績を上げる偉人に先立って、似たような説を提唱している人々がいることがあります。彼らは、過小評価されているのかというとそうではありません。彼らの説はたまたま偉人の業績に似ているだけで、根拠等が不充分であったのです。適当な説をブチ上げ、後世に似た説が認められることがあっても、根拠のない当てずっぽうが評価されることはありません。 世にその実体が解明されていない難病は多く存在し、それらの特効薬や治療法を開発したというものも数多く現れます。彼らは

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    daybeforeyesterday 2013/08/21
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  • 患者に不利益を与えるイデオロギー - shinzorの日記

    全員とは言いませんが、殆どのMCSと言われる患者さんが第一に望むことは,症状が無くなること,或いは軽減だったはず。それが困難ならば,種々の支援も必要です。経済的支援では,労災認定,障害年金支給などがあります。 もし,症状が無くなることが期待出来るなら,効果が確認されていない民間療法例えば「気功」などを試すことも無碍には否定できないとさえ思います。もちろん,安全性の確認は必須ですので信頼できる主治医などと相談して上の話です。*1 臨床環境医は正規の医師ですし、MCS患者さんにとっては信頼する主治医ですから、もし、治療効果があったのなら、結構なことです。その治療が他の患者さんでも効果を期待できるものなのか疑問がありますが、その患者さんに限り利益があったのは事実でしょう。(ただ、他の治療ではもっと効果があったかもしれないという、機会損失である可能性は残る。) というように方策には留保条件はつきま

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    daybeforeyesterday 2013/08/20
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  • 文字にしてあることと反対の意を行間から読み取る - shinzorの日記

    アメリカ肺協会・アメリカ医師会らの1994年の報告書 http://www.epa.gov/iaq/pubs/hpguide.html#faq1 の解釈についてsivadさんは,次の様に書いています。 つまり、非常に慎重な書き方ではありますが、これらは臨床環境医を排除するための記述ではなく、むしろ”allergists and other specialists”と”clinical ecologists”が重なり合っていることを認識してもらうための文章だといえるでしょう。 続・NATROM氏はどこで道をあやまったのか〜”allergists and other specialists”とはだれか〜 http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130811 報告書の該当部分とsivad訳は次の通りです。 Primary care givers should determin

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    daybeforeyesterday 2013/08/15
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  • 番外作戦はうんざり - shinzorの日記

    sivadさんが、NATROMさんが英語の和訳を間違っているという指摘をされました。 NATROM氏はどこで道をあやまったのか〜2002年、ある分岐点〜 http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130809/p1 確かに、sivadさんの訳の方がこなれていて上手ですね。NATROMさんの方は日語になりきっていないように感じます。(私の語学の評価はあてになりませんが)で、それだけですね。両方の和訳ではニュアンスの違いはありますが、内容的に大きな違いがあるんでしょうかね。 sivad訳 『化学物質過敏症であるとの患者の訴えや、その疑いがある場合には、そういった訴えを精神的なものとして却下するのではなく、包括的な検査をすることが不可欠である、というのが現在のコンセンサスである。』 NATROM訳 多種類化学物質過敏症だと主張されている、あるいは多種類化学物質過敏症だと疑われ

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    daybeforeyesterday 2013/08/11
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  • 気になる言葉 - shinzorの日記

    「やはり」 「やはり」という言葉は論理的な文章では使うな。 書名は忘れてしまいましたが,文章の書き方指南の書籍に上記の様に書いて有ったような記憶があります。自分が予想していたことが現実化したような場面で「やはり」がよく用いられます。これはまあよいでしょう。しかし,「やはり,この案の方がよい」のような使い方もあります。この場合は,根拠も理由もなく,直感を述べているだけです。自分の予想が当たった場合でも,予想の根拠があったわけではないけど,たまたま当たったというニュアンスがあります。 根拠がなくても「やはり」と書けば,何となく様になるけど内容はないという主旨だったと思います。確かにそうです。 更に言えば,実は予想すらしていなかったのに,予想していたかのように言う場合もあります。誰かが不祥事を起こした時に「やっぱりね。怪しいと思ってたんだ」とか。この場合,後付の理由を付けるということすらしないで

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    daybeforeyesterday 2013/08/09
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  • パターナリズム、配慮、そしてタブー - shinzorの日記

    世間には、被害者、病人、被差別者など弱者の方が沢山います。このような方たちには助けが必要ですが、過大な要求があった場合の対応は結構面倒です。元々ハンディを抱え、不利益を被ってきたという経緯を考慮し、優遇すべきですが、無制限というわけにはいきません。で、その判断の基準ははっきり言ってありません。 優遇に付きまとう弊害は、エセ弱者が現れることです。障害者に対する補助を不正受給していた暴力団関係者とかエセ同和団体の問題などです。後者には私自身悩まされたことがあります。大したことはなかったのですが、対応を誤ると面倒なことになります。来助けを必要としている方を利用する悪質な行為ですが、物とエセが明確でなく、なんとなくつながっていたりするのでややこしいです。 私が思うに、根っからの悪人のエセや、善人の弱者というステレオタイプはフィクションだけで、現実は微妙に混じり合っています。それは、普通の人々を

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    daybeforeyesterday 2013/08/05
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  • 実証と論理 - shinzorの日記

    ublftboさんの「ホメオパシーと化学物質過敏症」と内容がかなりダブりますが、私なりにまとめてみました。 http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20130727/p2 経緯と要旨 現実の事柄を扱う実証科学では、厳密な証明は無理だけど、実用的には蓋然性、つまり殆ど間違いないと示せばそれで十分なのだと思います。無理なのは、非存在の証明だけでなく、存在の証明も同じでしょう。実例を一つ示せば存在証明は可能に思えますが、観測ミス、幻覚などの可能性を考えだしたら、厳密とは言えません。そんなこと考えても実用的意味はありませんが。 ところが、数学のように論理的証明が可能だと考えるYさんという人がいて、Cという説を否定するNさんにそれを求めました。「いや無理でしょ。例えば、こんな馬鹿げたH説だって厳密には否定できないよ。殆どありえないという説明で十分でしょ」というと、「そのH説は、論

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    daybeforeyesterday 2013/08/04
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