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戦中に関するdonncherrrryyのブックマーク (7)

  • 人間的なアドルフ・ヒトラーの未公開写真 from こゆくておいしい('A`)

    人間的なアドルフ・ヒトラーの未公開写真 歴史上最も有名になった基地外 言うなってそういうことを。 カメラの前だから作ってるんでしょうが、まぁナチスドイツが世界を征服すると信じきってる表情とも見えますなぁ 今まで色んなサイトで公開された元未公開カラー写真とかは下の方の参照リンクからどうぞ ※記事の続きはこゆくておいしい一行ニュースの下から※ 〓こゆくておいしい一行ニュース〓 ■ ■ヘビちゃんの長~いバスタイム <エログちゃんねるニュース> ■マジコンでポケモン大会に出場しようとした親子、参加を拒まれ逆ギレ…「訴えられたくなければ賠償金払え」(オレ的ゲーム速報@刃) <New discovery ~ニューディスカバリー~> ■漫画4万2千冊ヤフオクに出品されてるwwww (妹はVIPPER) <ニュースまとみる。> ■ブサメン、人見知りな俺が今まで数回ナンパしたときのことをかく (ニコ

  • 第二次世界大戦の瞬間が亡霊のように現在に蘇る | DDN JAPAN (DIGITAL DJ Network)

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    第二次世界大戦の瞬間が亡霊のように現在に蘇る | DDN JAPAN (DIGITAL DJ Network)
  • 名作を読む: 太宰治

    donncherrrryy
    donncherrrryy 2010/05/06
    きついはずの戦中の作品の妙な明るさ/戦争が終わり、世の中が明るくなるほど太宰の作品は暗くなっていった/心中相手を死なせたのは原罪になって一生引きずったが、戦争が太宰の気を逸らせた
  • asahi.com(朝日新聞社):「死の行進」写真説明を訂正 AP通信、65年前に配信 - 国際

    「バターン死の行進」=AP  【ニューヨーク=田中光】AP通信は18日、65年前に配信した第2次世界大戦時の写真について、「バターン死の行進」とあった写真説明を、「行進の後」と訂正した。生存者の証言がきっかけで調査が進み、歴史的な写真の訂正は珍しいという。  「行進」はフィリピンのバターン半島で1942年に起きた。米比軍8万人が降伏したが、大量の捕虜受け入れの準備ができていなかった日軍が80キロ以上の道を歩かせ、数千人以上の死者が出たと言われている。  問題の写真は、米軍が日人から入手したもので、「バターン死の行進で捕虜たちによって運ばれる死傷者たち」として45年に配信された。戦後も各メディアで使われ続けたが、ニューメキシコ州に住む行進の生存者が昨年8月に掲載された写真説明は事実と違うと地元紙に連絡し、AP通信で調査が始まった。その結果、国立公文書館で保管されていたメモなどから、写真は

    donncherrrryy
    donncherrrryy 2010/03/20
    これ行軍は日常的だったらしいなぁ・・それを捕虜も一緒にやったらバタバタと・・かな。
  • チクチクビー、チクチクビー | 第2回 戦争から帰ってこなかった中原昌也 - ele-king Powerd by DOMMUNE

    アンソロジーをたった1冊、編ませてもらっただけなのに、構成内容がとても気に入っていただけたそうで、「水木しげる画業60周年」と題された米寿のお祝いに招待していただきました。これはちょっと感激でした。場所も帝国ホテルだし、会の切り盛りは出版社が複数でやるのかと思っていたら、最初から最後まで水木プロが手弁当でプログラムを組み、どことなく「お化けの運動会」を見ているような1日になりました。各テーブルには妖怪汁が配られ、司会は京極夏彦に荒俣宏、この日、たった1枚だけ描かれた絵は出席者全員がジャンケンで取り合いとなり、水木三兄弟があと12年、無事でいれば「3人合わせて300歳を祝う会」をやるという発表も。会場はけっこう広いのに学校の体育館にいるような気分になってくるのがどうにも不思議で、娘の悦子さんによる花束の贈呈はまるで入学式か卒業式に見えたり。境港市長や調布市長といった地域を代表する方のスピーチ

  • 江藤淳の痛みというか - finalventの日記

    このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽

    江藤淳の痛みというか - finalventの日記
  • VIPPERな俺 : 大日本帝國厨二杉ワロタwwwwwww

    donncherrrryy
    donncherrrryy 2009/11/28
    命がけの厨2病/人が死んでんねんで!!
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