米デルテクノロジーズ傘下でストレージ(外部記憶装置)大手のEMCジャパン(東京・渋谷)のセキュリティー部門は29日、サイバー攻撃の動向に関する説明会を開催した。米グーグルなどの地図サービスを悪用した振り込め詐欺の一種「リバースビッシング」と呼ぶ手口がアジア太平洋地域で広がりつつあると警鐘を鳴らした。ビッシングとは、電話など音声を利用するフィッシング詐欺のこと。日本であれば振り込め詐欺の一種とい
厚生労働省の統計不正問題で、外部の有識者でつくる第三者委員会が批判を受けてやり直している聞き取り調査に厚生労働省の職員が同席していることが分かりました。専門家は「第三者による調査として問題がある」と指摘しています。 これを受けて第三者委員会は調査対象者の聞き取り調査を全員分やり直すことになり、委員会のメンバーが聞き取りを進めていますが、この再調査にも厚生労働省の職員が同席していることが分かりました。 厚生労働省によりますと、再調査に同席しているのは人事課の職員で、記録などの事務作業にあたっているということで、調査の第三者性に影響はないとしています。 一方専門家は、調査対象の組織の職員が同席すると、対象者が本音で話せなくなると指摘しています。 不祥事などでの第三者委員会の調査に詳しい久保利英明弁護士は「第三者の人たちに徹底的に任せるべきで、たとえ下働きであっても厚生労働省が関与すべきではない
世の中の新人エンジニアたちへ 見た目って大事なんよ まずスーツ、ちゃんと着ような。 べつに高いの着てってわけじゃなくて、シワシワはかっこ悪いよ。 あと、財布はお尻のポケットに入れないほうがいいよ。 遅れるなら連絡な そりゃ電車遅れたりするよね。そのとき、ちゃんと連絡しような。 べつに電車の中で電話しなくていいからさ。 SMSでもLINEでもいいから、連絡してくれないと心配だからさ。 休むんなら病院行こう 俺だってもちろん調子悪い日あるよ。そのときは思い切って休んだほうがいい。 でも、病院は行こうな。 べつに疑ってるんじゃなくて、診断書なんていらないから診察はしてもらおう。 時期によってはインフルエンザだったり、流行り風邪だったり色々だからな。 で、その後ゆっくりしてからでいいから連絡くれるかな。 明日も休んだほうがいいかもしれないでしょ。 今日何すんの? 仕事始める前に、俺と今日何するか確
西城秀樹が死んだ。六十三歳だった――というニュースを聞いたら、朝丘雪路が死んだ、星由里子が死んだというニュースも続いて、テレビの『徹子の部屋』は追悼番組が立て続けになった。なんでこんなに人が死ぬんだろうと思ったら、平成三十年の五月は、平成が終わる「最後の一年」に突入した時期だった。今上天皇の退位はあらかじめ決まっていて、なんとなく平成は自動的に終わるもんだと思っていたけれど、人が立て続けに死んで行くニュースに接して、改めて「あ、一つの時代が終わるんだ」と思った。 七年前、東日本大震災が起こった二〇一一年にも人が死んだ。有名人が立て続けに死んだというのではなくて、年老いた親の世代が死んで行った。私の父親が死んだ。友人の父親、あるいは母親が死んだ。やたらと葬式の通知、年賀状辞退の通知が届いた。「なんか、今年葬式多くない?」と友達に言ったら、「多いよね」という答が返って来た。 意外と人は「時代の
国際日本文化研究センター共同研究 「投企する古典性―視覚/大衆/現代」 研究代表者 荒木 浩 平成30年度・第6回共同研究会のお知らせ 新たな年も明け、諸業務や、年度末に向けてのお忙しい時期をお過ごしのことと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 本年度第6回共同研究会開催のお知らせを申し上げます。3年の共同研究会の最終回となります。2019年度は、研究成果報告に向けて、1年間のとりまとめ研究会を開催する予定です。 今回は、中世のお伽草子から近代美術史の諸相まで、興味深いテーマが並びました。万障繰り合わせてご参加ください。時間の許す限り、研究会のまとめについても話し合えれば、と思っております。 ※本研究会は、日文研の大衆文化研究プロジェクト (http://taishu-bunka2.rspace.nichibun.ac.jp/)の一環でもあります。 記 日時:平成31年2月16
物語の上では点景に過ぎないが、羽田の陸上競技場を手伝っている「弁髪の連中」がいる。弁髪は清朝の象徴であり、まもなく始まる辛亥革命によってこの風習は消え去るのだが、この場面を見てわたしはふと魯迅の『藤野先生』を思い出した。 「東京もどうせこんなものだった」と『藤野先生』は書き出される。「こんなもの」という情景の典型として、魯迅はそこから、上野の桜に集う弁髪姿の留学生の姿を描写し、「まったくお美しい限り」と皮肉っている。同じ留学生でありながら、彼には旧来の清の風習を引きずった同級生たちの姿がおもしろくなかった。 『いだてん』に現れる弁髪の人々は、おそらく嘉納治五郎の作った清国留学生向けの予備校、弘文学院速成班 *1 の学生たちなのだろう。魯迅は『いだてん』の時代より少し前の1902年、この速成班に居て二年間を過ごした。先の『藤野先生』の冒頭に書かれているのもその頃の話だ。魯迅は、東京での生活に
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