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朝鮮半島に関するemiyosikiのブックマーク (2)

  • 東アジア古典学としての上代文学の構築:韓国木簡研究の現在─百済木簡—新出資料を中心に—:李鎔賢

    百済木簡が初めて出土したのは1982年から1983年にわたった扶余・官北里蓮池およびその周辺発掘からであったが、文字があまり読めなかったため、ほとんど注目されることがなかった。引き続き百済地域の益山・弥勒寺址でも1987年に木簡2点が出土したが、報告書が1996年に刊行されたこともあって、同様に関心を引くことはできなかった。百済木簡の格的研究がなされ始めたのは、1997年10月-12月に扶余・宮南池木造貯水槽施設内で38字墨書木簡が出土してからである。百済都城の制度と関連してマスコミの大々的な注目をあび、これに関する1999年の報告書が刊行されるまで全3編の論考が発表されるなど、百済木簡研究の嚆矢となった。続いて扶余・陵山里寺址の発掘過程で、2000年に10点、2001年に19点が出土した。扶余・官北里からも2002年に12点、2003年に2点など、計14点の木簡が出土した。 こうした木

  • asahi.com(朝日新聞社):律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土 - 文化

    律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土2008年11月25日3時2分印刷ソーシャルブックマーク 古代の日中国をモデルに律令制度を整備する際に、朝鮮の百済(くだら)(4世紀半ば〜660年)が窓口の役割を果たした可能性を示す木簡が韓国で発見された。奈良〜平安時代の律令国家を支えた財政制度「出挙(すいこ)」と同様の仕組みが百済に存在し、記録の方法も日と同じであることが分かった。 百済の都だった扶余で、今年4月に木簡6点が発見された。周辺には役所が並んでいたと推定され、木簡の1点に税の収納を担当した役所の「外椋部」の名があった。木簡は長さ約30センチで「貸記」と表題があり、618年のもの。日は飛鳥時代で聖徳太子の時代に当たる。国立歴史民俗博物館の平川南館長(日古代史)、早稲田大の李成市教授(朝鮮古代史)らが解読し、百済が国庫に持つ稲の種もみを運用した「出挙」の記録と判断した

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