残虐なのか、優しいのか。 織田信長という人物にはよくわからない一面がある。 優しさについてはともかく、甘い面があるというのは、ドラマではなく史実の信長を追ったことがある人は誰も思うことだろう。 ところが、突然厳しくなる違和感のある行動を起こすことがあり、それがますます現代人を悩ませる。 天正8年(1580年)、大坂本願寺降伏後のことだ――。 本願寺攻めの総大将で、譜代中の譜代の家臣である佐久間信盛や当時の筆頭家老の林秀貞らを、いきなりたいした理由もなく追放した。 当時、最大の軍団を任されていたNo2の佐久間信盛にいたっては、19箇条にのぼる叱責状をしたためたあげく、高野山へ追いやっている。 佐久間信盛にとっては5年ごしで大きな成果(本願寺降伏)をあげて褒められると思ったら、真逆の対応を取られたわけで、そのショックが大きかったのだろう。 翌年、山深い十津川(奈良県)で死亡した。 そのナゾに迫
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