タグ

ブックマーク / crd.ndl.go.jp (1)

  • 三十三間堂には通し矢をした人の名前が書かれているが、文献資料として残っているものはあるか。江戸時代の... | レファレンス協同データベース

    三十三間堂の通し矢については『京都大事典』のp441と『堂射:武道における歴史と思想』のp59~78p、矢数帳については同書p444~448に記載されている。 また、三十三間堂で通し矢をした人の名前については、『矢數帳』(慶長11(1606)~慶応2(1866)年)、『寛政御免大成矢數年代記:大矢數日矢數半堂千射百射』(慶長年間以降)、『改定史籍集覧 第17冊』のp736~739「京都方広寺三十三間堂通矢数」(慶長11~貞享4(1687)年)、『日弓道史料 第6巻』(寛政元(1789)~慶応3(1867)年)、『堂射:武道における歴史と思想』のp662~730(応永年間(1394~1427年)以降)に記載されている。 1.『京都大事典』で「三十三間堂」を調べたところ、p440~441に三十三間堂と通し矢について記載されていた。 2.インターネットでキーワード「通し矢」を調べたところ、Wi

    三十三間堂には通し矢をした人の名前が書かれているが、文献資料として残っているものはあるか。江戸時代の... | レファレンス協同データベース
    emiyosiki
    emiyosiki 2013/12/15
    へえ“三十三間堂で通し矢をした人の名前については、『矢數帳』(慶長11(1606)~慶応2(1866)年)(略)『堂射:武道における歴史と思想』のp662~730(応永年間(1394~1427年)以降)に記載されている”
  • 1