我々は先祖からどのようなお金のDNAを受け継いだのか。そして世界屈指の商人であるユダヤ人や華僑とどこが決定的に違うのか。 「武士は食わねど高楊枝」――。 現代人が江戸時代の武家の生活を想像したとき、真っ先に思い浮かぶのがこのフレーズだろう。武士たるもの、少々腹がへっていたからといって平然としているのが当たり前。目先の金欲しさに汲々としているようでは、武士としての面目が廃れてしまう。そうしたイメージがつきまとうのだが、実際はどうだったのか。 幕臣は将軍に拝謁できる資格を有する旗本と、その資格を持たない御家人とに分かれ、前者が6000人、後者が2万6000人ほどいた。旗本は幕臣のなかでも“エリート・ビジネスマン”のような存在で、その代表的な存在が池波正太郎氏の小説『鬼平犯科帳』で知られる火付盗賊改の長谷川平蔵である。 武家の1年間のサラリーにあたる禄高だが、長谷川家の場合は400石であったとい
![武士の財布vsユダヤの財布vs華僑の財布、対決【1】](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ac2b43667e3a4e1936c99c3098091bdec11e6b68/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpresident.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F2%2F8%2F1200wm%2Fimg_284d85b3b362264242511bd62439a89023013.jpg)