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おさかな日記: 南京事件から70年です
70年前の今日、旧日本軍が南京を占領した。このときに起きた虐殺、強姦、暴行、略奪などを総称して南... 70年前の今日、旧日本軍が南京を占領した。このときに起きた虐殺、強姦、暴行、略奪などを総称して南京事件という。 南京事件から70年たった今日でも、「大虐殺」(※)と呼べるものはなかったなどの主張が一部に横行している。この種の主張が日本政府中枢に根強いこと、さらには一般国民の若い層にも広がっていることを僕は憂える。 同時に、広範な「中立」「無関心」層の存在をも僕は憂える。南京事件での非人道的行為の存在を認める立場を「自虐史観」呼ばわりする人々がいるが、この種の妄言が大手を振っていられるのも、われわれ国民がそれを許しているのだ。主体的であれ、無意識であれ。 この種の「中立」「無関心」は、今日でもアフガン、イラクへの米軍占領・攻撃に日本が手下となって協力している事実を忘却、隠蔽する役割を果たしてはいないか。罪のない人が殺された事実。必要のない死を与えられ、人生を奪われた人々。身体に、心に一生いえ