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曲亭馬琴のベストセラー『傾城水滸伝』 - 四行詩集日乗
『傾城水滸伝』は曲亭馬琴の長編合巻で、初編の4巻は1825年(文政8年)新春に江戸通油町の一流書... 『傾城水滸伝』は曲亭馬琴の長編合巻で、初編の4巻は1825年(文政8年)新春に江戸通油町の一流書肆・鶴屋喜右衛門から発兌されました。中国の伝奇小説・水滸伝を元に主人公を女性に置き換えて、彼女らが縦横無尽に活躍する内容は、当時の女性を中心に非常に人気を博して、板木が摺りつぶれる程に増し摺りされたようです。画工は初編が初代歌川豊國、第2編以降は豊國が文政8年に没したため弟子の歌川國安が引き継ぎます。林美一の説によると、初板は数千部が出されたそうで、『傾城水滸伝』はまさに江戸のベストセラーでありました。「火事で板木が焼けたため再板を彫ることはあっても、板木をすり潰して再板を彫りおこした」など未曾有のことだったようです。さらに、再板も増し摺りのため板木が摩耗してしまい再々板の第3板までも彫りおこして上梓しました。 『傾城水滸伝』の人気は本家の水滸伝ブームも呼び、売れない画工の歌川圀芳は刺青を纏った
2010/06/26 リンク