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ララビアータ:クオリア再論 - livedoor Blog(ブログ)
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感覚質(クオリア)について何度か書いてきた(『読む哲学事典』p−78『古代ギリシアの精神』p−20... 感覚質(クオリア)について何度か書いてきた(『読む哲学事典』p−78『古代ギリシアの精神』p−208)。学生の論文でクオリアについて書いたものがあったので、それについてもう一度考えてみた。 クオリアは独立した存在として取り扱えるものか? またその存在は一人称的にのみ規定されるものか? どちらも怪しい。もちろん、クオリアを他の実在(物理的存在)に還元することは難しい。しかし、だからといってそれだけで自立した存在ということにはならない。むしろ、それは意味理解との関係で存在するものではないか? そうであれば、意味解釈との関連で、クオリアが姿を変えてもおかしくはない。 クオリアは、対象を意味によって弁別する時に利用される感覚的情報である。つまり、ある意味理解に基づいて輪郭づけられている対象の弁別のために利用されることによって意識化される情報。たとえば、ある対象は背景や隣の事物から際立てられるために