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ララビアータ:ラカンとフェミニスム - livedoor Blog(ブログ)
ラカンによれば、男児は母の欲望の秘密を、ファルスの欠如ゆえに父のファルスを求める欲望と解釈する。... ラカンによれば、男児は母の欲望の秘密を、ファルスの欠如ゆえに父のファルスを求める欲望と解釈する。これは、すべてのシニフィアンをファルスの欠如から解釈する一元的意味論である。男児が、原理的一元的説明原理が与えられると期待するのは、もちろん早とちりの幻想による。あまりにも鮮やかな解釈が得られたと思い込むことから、彼らは意味一般の解釈原理を手にできたと思うのである。これがそれ以後の彼らの意味論の基本形を形成するのだ。 しかしそれなら、男は皆そのような愚かさを宿命づけられているのか? そうではない。そもそも鏡像段階のデッドロックを突破できたのは、男女を問わず母の欠如(母の欲望)から、言語への道が開いていたからである。 男児は、それを大文字の他者A への母の欲望と見なし、自らもAを求める。そして、Aの中に己れのセリフを見出す。しかし、このAが完全でもすべてでもないことを見出さなくてはならない。さもな
2022/03/07 リンク