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「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみた : 哲学ニュースnwk
2015年02月08日00:00 「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみ... 2015年02月08日00:00 「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみた Tweet 1: 【中国電 58.7 %】 ◆An3ZhmquT2 2013/08/24(土) 08:50:18.84 0 「対話」とは「会話」とも「ディベート」とも違う 会話は異質な個人個人が異質性を保持したまま結合する形式のため、そこに対立は存在しない ディベートはある限定されたテーマについて、私情を挟まず論理的に相手を説得する技術が求められ、そこには討論者の本心は無い(無くても良い) 本書で著者の使う「対話」とは哲学的対話である 身分、地位などを捨て、自分固有の体験、信条、価値観にもとづいて、相手との対立点を積極的に見つけ発展させて行くことである 特に「体験、信条、価値観に基づく」と言う部分が重要であり、これはこれまでの自分の人生を背負っていることに他ならない また、相
2015/02/08 リンク