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文学とは何か: 小さな王国
古典的な大それたタイトルですが、わずかながら考えたことがあるので、書いてみます。 最近国語学者の時... 古典的な大それたタイトルですが、わずかながら考えたことがあるので、書いてみます。 最近国語学者の時枝誠記のことを大学院の友達と調べたりして、軽く発表したりしていました。その発展で、時枝誠記と西尾実の論争をなぞったりしてみました。 論争のテーマは、一言でいえば、「国語教育における文学の扱い」というようなもので、時枝は「言語教育と文学教育を分けるべきではない」と言い、西尾は「言語教育と文学教育は分けるべきだ」と言っています。そして、議論はかみ合わぬまま二人の生涯の論争テーマとなっていたそうです。 二人の対談を読むと、どうも同じような考え方をしているところが多い。たとえば、二人とも文学は言語の一分野であると認めつつも、普通の日常言語よりもエライ言語だという認識を持っているようです。なので、二人の共通認識として、言語は二つに分けられると思います。 ①日常言語 ②文学 ①は普段使いの粗雑な言語で、②