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一過性の、記憶の共有素材としての、 - 河の向こうに灯が見える
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一過性の、記憶の共有素材としての、 - 河の向こうに灯が見える
ドラマについてここのところ考えていたことをつれづれに。 ちょっと飛躍するけれども、ドラマっていう... ドラマについてここのところ考えていたことをつれづれに。 ちょっと飛躍するけれども、ドラマっていうのは時代の記憶の共有なんだよなーということに思い至ったのですよ。無料で(ほぼ)平等に同時刻に配信される、その時代の、記憶の素材。 あーたとえば。ニコニコ動画で、ゲーム動画とか盛り上がるじゃん。あれって、子供部屋の気分の共有だよね。FFとかドラクエとかを放課後やった気分を、今分かち合える。皆べつべつの子供部屋にいたのにね。ニコニコ動画って、そういう嬉しさが魅力のツールですよね。今現在の面白映像を共有できるだけじゃなくて、過去を共有出来ることにも、魅力の比重がある。 ニコニコ動画(まぁネット)も、ゲームもドラマも映画も、記憶の共有ソフトという意味ではおなじだよね。情報を分かち合う為の道具。記憶の共有自体が、物語の機能なんだから。 そういえば、記憶について、佐藤浩市が2005年の日本アカデミー賞でこの