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共和制をめぐって(3) - heuristic ways
■天皇抜きのナショナリズム 1989年に昭和天皇が亡くなった日、私はたしか映画館に行ったと記憶する。何... ■天皇抜きのナショナリズム 1989年に昭和天皇が亡くなった日、私はたしか映画館に行ったと記憶する。何の映画を見たかは覚えていない。天皇の死に特に関心がなかった、というより、むしろ「無関心であるべき」というのが当時の私の考えだったように思う。*1 笙野頼子氏の『なにもしてない』(1991年)という小説は、「天皇即位式の前後」に「接触性湿疹をこじらせた」「私」が部屋に閉じこもって、いろいろ想像や妄想を巡らせたり、記憶や感覚を探ったりする日々を物語っているが、皇室報道や沿道の厳重な警備の様子が時折点描されて、「私」が「この国の無力な小市民」であることを対照的に浮かび上がらせると同時に、しかしその「私」のリアリティ(たとえば皮膚の「痒み」)こそが目下の関心事なのだという風に書かれていると思う。少なくともそこには、「私」の「密室空間」を、「皇室」の儀式や社会の「警備」状況に対置させるという意志があ
2006/03/05 リンク