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ある思考実験――「批評家の責任」とは - the deconstruKction of right
例えば、僕がナチスの台頭期の少し前、誰もこんな集団が政権をとるなんて思いもしていないときに、近く... 例えば、僕がナチスの台頭期の少し前、誰もこんな集団が政権をとるなんて思いもしていないときに、近くにいたとする。そこにいるカリスマのヒトラーは、画家として失敗し、そして支離滅裂な言動を行い、そして信者を獲得し、大きなうねりとなった。 僕が、そこにいたとする。そして、その理論や行動が、いかにインチキで、どんなに問題があることか気づいてしまったとする。そこで、僕が批判を行う。すると、ヒトラーは心が弱いので、自殺を仄めかす。 ここで追求をやめるのは、倫理的か? 相手が精神の病かもしれないと思ったときに攻撃をやめるのは、倫理的か? 僕の心は、当然同情に動く。しかし、ここで見逃すとどうなるのか? 「21世紀に生きている僕」はその帰結が分かっている。だが、その当時の「僕」は将来のことなんてわからないだろう。予感はあるかもしれないが、確定した未来は知らない。 「21世紀の僕」は、そこで追い込んで殺せば、巨
2011/06/25 リンク