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魂をつかみとられる読書「精霊たちの家」
物語のチカラを、もういちど信じる。 小説の技巧に着目するようになってから、心底から楽しめなくなって... 物語のチカラを、もういちど信じる。 小説の技巧に着目するようになってから、心底から楽しめなくなっていた。いや、面白いことは面白いよ――けれど、構成や人称や配置を目配りしながら『鑑賞』するようになって、ワクワク度が半減してた。時代背景や著者の生い立ちから近似を解釈するかのようなテクスト読みなのだ。美味しんぼ的なら、「ウム、このダシは利尻昆布を使っておる」なんてスカした野郎だな。 ヒョーロンカならいざ知らず、もったいない読み方をしていた。物語に一定の距離をおいて、自分を少しずつ曝しながら反応を確かめつつ、進める。過去の作品や現代の時評に連動させるところを拾ってはネタにする。まさに読書感想文のための読書、鼻もちならん。 それが、このラテンアメリカ文学の傑作のおかげで、気づかされた。驚異と幻想に満ちた物語に没入し、読む、読む。小説とは解剖される被験体ではないし、解体畜殺する誰かの過去物語でもない。
2009/06/06 リンク