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ASは庇護を求める | 意味不明なヒトビト
ある高機能のASの人とのカウンセリングの中で、本人から「庇護を求めていた」という言葉が出てきて、さ... ある高機能のASの人とのカウンセリングの中で、本人から「庇護を求めていた」という言葉が出てきて、さまざまなASのタイプを統一するイメージが浮かんだ。 もとは「庇護」なんだ。だから「100パーセントが当たり前」で、「対等の関係にはならず」、「相手の人格を想定しないで良い」のだ。 「庇護」という言葉は無条件の理解と保護を意味する。だいたい胎児から乳児に対する親の行うことが「庇護」で、親は当たり前に100パーセントの責任を負い、乳児本人からの要請や 親子の相談は必要なく「以心伝心」で親は乳児の求めていることを理解し、提供する。 反対にケア(世話)する立場になった場合はASの人はケアされる側のニーズを聞くことをせず、結局第三者から見ると「支配的な押し付け」になるが、これも「庇護」モデルの反対側を演じているのだと考えると説明がつく。 ASの人の理想とするコミュニケーションのあり方にも非常に似ている。
2020/05/09 リンク