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自分が世界と同一だったころ、私に世界はなかった。私は、目に見えるもの、触れることができるものにつ... 自分が世界と同一だったころ、私に世界はなかった。私は、目に見えるもの、触れることができるものについての言葉、具体的な言葉しか持たなかった。私の世界はそれだけでできていた。それは私自身がなかったというのと同じだった。 たとえば小学生だったころ、私は「客観的」という言葉も「権力」という言葉も意味がぜんぜんわからなかった。辞書をひいても、その意味がまったくわからなかった。なぜならその意味も、同じくらい抽象的な言葉で書かれていたからだった。でも中学校の途中で、「客観的」というものがぼんやりとわかるようになった。ある瞬間にわかった、ということでもない。気づくと知っていた、といった感じで。 これは、意識には抽象性の水準みたいなものがあって、その水準はかならず上昇することを意味した。しかも、一度かくとくした抽象性の水準は、脳に損傷でも受けない限り、けっして失うことができないという特徴をもっている。その抽
2008/03/02 リンク