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自分が神様に成れば良いのです - 伊勢ー白山 道
日中に感じていましたことは、どんな人も神様なのに「もったいない」ということでした。 いや、そんなこ... 日中に感じていましたことは、どんな人も神様なのに「もったいない」ということでした。 いや、そんなことは無い。 現実の自分などは嫌になる存在であり、自分が神であるわけが無い。 と思われることでしょう。 ここで私は、はたと気付きました。 一般的に人にとっての神様とは良い存在であり、絶対的な何か良いイメージ「しかない」ことに。 どうして、情けない神様や、泣き虫の神様、心配する神様も居ることを想像しないのだろうか、ということです。 思い上がりでは無くて、自分の右胸には根源的な神が存在し、それと自分は一心同体であり、コノ世で「思い出を刻んでいる最中の神」が自分自身であることに気付いて欲しいのです。 このことに真から気付けた者が、本当に自由に成って行くのです。 自分で自覚した者が、自信(自神)を取り戻し、運気・運命が実際に変わるのです。 そして思い出は、平坦なままでは面白く無いのです。 生(性)・老・