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東京貧民窟をゆく~四谷鮫河橋04 - 黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)
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東京貧民窟をゆく~四谷鮫河橋04 - 黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)
産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感... 産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く かつて東京にあった3大スラムを歩くシリーズ。 前回に引き続き、四谷にあった鮫河橋(さめがはし)の貧民窟です。 明治30年代に、自ら残飯屋の下男として働いて貧民窟の実態を記録した、 ルポライターの松原岩五郎は、その著書『最暗黒の東京』で、 「残飯がない時は、捨てられた生ゴミや豚の飼料、 そして肥料用のジャガイモをもらって、それを貧民に売った」 と記しています。 貧しい食事と不衛生で悪臭に満ちた環境は、病気と犯罪の温床でもあり、 貧民窟の人々は、常に飢えと伝染病、そして強盗におびえながら暮らしていたのです。 ■概略地図■ 横線のエリアがかつての貧民窟。 付近の google map はこちら 前回は地図中央界隈を南北に歩きました。 今回は、戒行寺坂を登った寺通りから暗闇坂を下り、