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たった1つの山城(旭山城)が戦の趨勢を左右 第二次川中島の戦いとは
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たった1つの山城(旭山城)が戦の趨勢を左右 第二次川中島の戦いとは
勢力拡大のため北信濃へ進出していった信玄は、越後の上杉謙信と衝突――。 そこで勃発した【第一次川中島... 勢力拡大のため北信濃へ進出していった信玄は、越後の上杉謙信と衝突――。 そこで勃発した【第一次川中島の戦い】での信玄は、以下の記事通り、やや無気力症候群でした。 当人にしてみれば 「いやいや、全然、負けてねえし! てか、川中島の戦歴にカウントしてんじゃねえよ」 と言いたいところかもしれません。 なんせ合戦はその後も続き、 【第二次川中島の戦い】 ↓ 第三次、第四次……ついには第五次まで発展してゆくのです。 では第一次が終了した天文22年(1553年)時点で、信玄サイドはいかなる作戦を推し進めたのか? 実は二度目の対峙となる第二次川中島の戦いは、200日にも及び、弘治元年(1555年)閏10月15日に和睦が結ばれます。 いったいどんな戦いだったのか?振り返ってみましょう。