エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
東大とバトルし女性関係も激しい北里柴三郎~肥後もっこす78年の生涯
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
東大とバトルし女性関係も激しい北里柴三郎~肥後もっこす78年の生涯
2024年7月からの新紙幣1千円札の顔に決まった北里柴三郎。 彼にとっては、弟子である野口英世と交替する... 2024年7月からの新紙幣1千円札の顔に決まった北里柴三郎。 彼にとっては、弟子である野口英世と交替するかたちです。 貧家に生まれ、左手に障害を負いながらも、母はじめ周囲の愛を受けた野口。 アメリカで国際結婚し、異国の地で黄熱病に倒れた最期といい、彼の人生は劇的でした。 しかし、業績となると、実は野口のものは、現在では否定されるものも多い。 一方、その点では、北里の方が勝るとされていますが、なのになぜ、伝記では圧倒的に野口に人気があるのでしょうか? 答えは、北里柴三郎の生涯そのものにあります。 嘉永5年(1853年)12月20日という、混乱ど真ん中の幕末に生誕。 その後、医師として出世してからは東大派閥と激しくバトルしたばかりか、自身の女性関係スキャンダルをメディアに取り上げられ――品行方正とは言い難いながらも、一方で信義に篤かった、北里柴三郎の人生を振り返ってみましょう。 阿蘇国・北里に