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武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた(秀間翔哉)
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武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた(秀間翔哉)
米国競馬界における伝説の名馬、セクレタリアトと並べて語られたことのある馬が、ゼロ年代の日本にいた... 米国競馬界における伝説の名馬、セクレタリアトと並べて語られたことのある馬が、ゼロ年代の日本にいた。その馬の名は、クロフネ。マル外の実力派として早くから芝レースで活躍していた彼が、除外によってダート戦へ挑んだことが、伝説のきっかけとなる。 競馬を愛する執筆者たちが、ゼロ年代前半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負2000-2004』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)から一部を抜粋して紹介する。〈ネオユニヴァース編、ハルウララ編に続く〉。 ◆◆◆ 「アンタッチャブルレコード」 今後、一切塗り替えることが不可能であろうと言われている記録のことを俗にこう呼ぶ。広く知られているところで言えば、王貞治選手の通算868本塁打や吉田沙保里選手の世界大会個人戦206連勝などがそれに数えられるだろう。 競馬界にもこのような記録はいくつか存在し、日本においては武豊の通算勝利記録や武幸四郎の重賞制覇までの