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贋・久坂葉子伝 : 英語と映画とパソコン
1952年(昭和27年)12月31日、阪急六甲駅で、芥川賞候補にもなった作家の久坂葉子は、梅田行きの特急に飛... 1952年(昭和27年)12月31日、阪急六甲駅で、芥川賞候補にもなった作家の久坂葉子は、梅田行きの特急に飛び込んで死んだ。「贋」となっているが、この小説は久坂のことを「私のクイン・エリザベス」と呼んでいた富士正晴が渾身の力をこめて書いた、文庫本で596ページもある大作である。 久坂葉子のことを知ったのは、現代教養文庫の「青春の記録3・埋没した青春」という文庫本でである。常に自殺のことが頭にあった当時の自分を救う手だては、ただ自殺した人の手記を読みあさりその感覚を麻痺させることだけだった。実際「二十歳の原点」を読んで、私は救われたのである。高野悦子は結局自殺に取りつかれ、勢いで死んでいったということは何となくわかった。久坂葉子も「死ぬ、死ぬと言って死んだ試しはない」の逆で、言ったことを実行してしまった。 私は幼い頃阪急六甲駅の近くに家があり、小学校から電車通学をしていたので、小中高大と16