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【感想】熾(おき)をかこむ会 「責任」や「個」の終わり - 降りていくブログ
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【感想】熾(おき)をかこむ会 「責任」や「個」の終わり - 降りていくブログ
「責任」や「個」という概念が現実のプロセスとは乖離したものであることがより実感されてくる。それら... 「責任」や「個」という概念が現実のプロセスとは乖離したものであることがより実感されてくる。それらは今の社会を回すための基礎的な概念であるけれども、社会が複雑化してきて、現実というものは今まで済ませてきたようなこれらの素朴な割り切りでは扱えないことがわかってきた。 たとえば、環境問題というのは、誰がその責任をもつ主体であるのかがわからない問題に対応するために作られた分野でもあるとも聞いた。 公害を撒き散らした企業であるとかは、明らかではないかと思うかもしれないけれども、社長より株主などの方が上だったり、公害に関わった人というなら社員全体なのか、というように、現実をより実態に即してみるならば責任の主体がだれなのかはより曖昧になってくる。 水俣病においても、加害企業であるチッソに対して裁判で勝てたのは、内部検証において有機水銀が水俣病の原因であることが判明していたのに隠蔽していたことが内部告発に