エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ほっとするニュース:鉄の街・北九州市を食で支え半世紀 惜しまれつつ幕 - 毎日jp(毎日新聞)
新日鉄八幡製鉄所旧南門前の「松月(しょうげつ)食堂」(北九州市八幡東区春の町)が昨年暮れ、半世紀... 新日鉄八幡製鉄所旧南門前の「松月(しょうげつ)食堂」(北九州市八幡東区春の町)が昨年暮れ、半世紀以上の歴史に幕を下ろした。高度成長期を象徴する北九州工業地帯の「七色の煙」、鉄冷え、そして再開発に至るまで、大衆食堂は「鉄の街」の移り変わりを見守ってきた。 食堂は1958年、振井(ふるい)テル子さん(74)が母親と始めた。当初割烹(かっぽう)だったが、板前が辞めてからテル子さんが調理場に立つようになった。徐々に弁当も販売する大衆食堂となり、68年から飲料水卸売業の夫実さん(75)も手伝うようになった。 製鉄所などは24時間操業の3交代勤務。顔や作業着を真っ黒にした男たちがひっきりなしに来店し、弁当の注文も次々と入った。「店を閉める間もなく、寝る暇もなかった」と実さんは振り返る。 だが、製鉄所の東田第一高炉の火が72年に消えると、再開発に伴い、南門も87年に閉鎖された。街はにぎわいを失い、コンビ
2011/01/25 リンク