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「美術と表現の自由」美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムで考える「美術の自由」 | マンガ論争Plus
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「美術と表現の自由」美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムで考える「美術の自由」 | マンガ論争Plus
2016年7月24日、東京都美術館講堂において、美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムが開催されました。... 2016年7月24日、東京都美術館講堂において、美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムが開催されました。テーマは「美術と表現の自由」(リンク先はフライヤーのPDF)です。この背景には美術界、正確に言えば美術評論家の皆さんの持つ危機感の高まりがあるのでしょう。シンポを取材してみて、色々考えるところがありました。いくつかの事案は知っていましたし、風向きが変わってきたなという感覚もありました。そのあたりを含め、少し長めの前置きから書き始めます。 ■かつて自由だった美術の自由 2009年刊の『マンガ論争勃発2』の取材で、美術評論家の樋口ヒロユキさんに美術界の「表現と自由」について訊ねました。そこで初めて知ったのは美術の世界は格段に自由度が高いということでした。ただ、それは、座して与えられた「自由」ではなく、先人が勝ち取ってきた「自由」であって、単純な、 「芸術だから赦されるのだ」 「芸術は高尚