エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
旧約聖書コヘレトの言葉と「空」(1-4) | 中野禅塾
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
旧約聖書コヘレトの言葉と「空」(1-4) | 中野禅塾
読者のお一人から「NHKこころの時代『コヘレトの言葉』で、さかんに『空(くう)』と言ってました」とお... 読者のお一人から「NHKこころの時代『コヘレトの言葉』で、さかんに『空(くう)』と言ってました」とお知らせいただきました。 (1)さっそく調べて見ますと、たしかにEテレ「こころの時代~宗教・人生~それでも生きる旧約聖書『コヘレトの言葉』」と題して6回にわたって放映されていました。筆者も当番組のレジメ冊子と、小友聡著「旧約聖書注解・コヘレト書」(日本キリスト教会出版局)を入手して読みました。以下に従来の解釈と小友さん(東京神学大学教授)の考えと、筆者の感想をお話します。 初めに旧約聖書は大小39の書からなり、「コヘレトの言葉」もその一つです。キリスト教の成立より古いことが特徴で、紀元前2世紀頃まとめられました。問題は、キリスト教の教えと正反対と思えるところがあり、爾来多くの学者を悩ませてきたのです。 一番の問題は、冒頭の「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい(聖書協会共同訳旧版