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百丁森の一軒家(本館) 幕間(承前)
前のエントリをしめくくった時点では、次は現在のことに飛ぼうと思っていたのだが、書き落としたことが... 前のエントリをしめくくった時点では、次は現在のことに飛ぼうと思っていたのだが、書き落としたことがいくつかあるので、それを補足しつつ再度まとめ。 まずは水俣病の原因究明の流れを年表ふうにふりかえってみる。 1956年 5月 新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場附属病院長・細川一が水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患」を報告。いわゆる「公式発見」 7月 熊本大学に水俣病研究班発足 10月 研究班中間報告(前出)。伝染病を否定、原因として汚染された港湾棲息の魚介類を推定 11月 研究班報告会 魚介類を介した重金属中毒(マンガン?)を疑う 1957年 1月 研究班、原因としてマンガン・セレン・タリウムを挙げる 4~6月 有機水銀の可能性が浮上(ここを参照) 1958年 病理所見から有機水銀中毒を示唆(武内。上記参照) 3月 多発性硬化症の研究のため水俣に逗留していたイギリスの
2009/08/15 リンク