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永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か?
[戻る] 永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か? 日比 嘉高 『日本近代文学』第74集, 2006年5月, ... [戻る] 永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か? 日比 嘉高 『日本近代文学』第74集, 2006年5月, pp.92-107 一、はじめに──『あめりか物語』は「日本文学」か? 一九〇三(明36)年に渡米した永井荷風は、一九〇八年に帰国、その後没するまでの五一年を日本で過ごす。明治大正昭和と息の長い活動を続けた彼を、日本を代表する近代作家の一人であると述べても、さしたる異論は出ないだろう。 しかしながらこの論文で私が試みてみたいのは、永井荷風は場合によっては「日本」の文学者とは呼びえないかもしれない、という視点を設置してみる作業だ。それは、彼の滞米経験、およびそのあいだに書き継いだ『あめりか物語』の再規定に関わる論述となる。 問いを、次のような形ではじめてみよう。もし仮に、荷風が帰国しなかったとしたら、在米中に書きついだ彼の小説群『あめりか物語』はいったい「何文学」とされているだろう