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善い音楽と悪い音楽で悩む - お悩み手帳
デューク・エリントンの言葉として知られている「音楽には二種類しかない。善い音楽と悪い音楽とだ。」... デューク・エリントンの言葉として知られている「音楽には二種類しかない。善い音楽と悪い音楽とだ。」という言葉は、あちこちで都合のよいように都合のよい解釈で使われている。でも、じゃぁ誰がその善い悪いを決めるのだ? というとその問には誰も答えてくれないので、これは全く無意味な言葉になってしまう。 私の印象としては「音楽の正しさ」という話の文脈として、「どういう音楽が正しく、どういう音楽が間違っている(正しくない)のか?」という問がなされ、デューク・エリントンがその答えとして「音楽には(正しいか間違っているかではなくて)善い音楽と悪い音楽しかないのだ。」と言ったのであって欲しい、と思っている。 というのは私はある経験から「音楽に間違いというものはない」と考えており(思ったとおりにならないという意味での失敗はあるにせよ)、それによって自分を勇気づけているという背景があるからだ。 でも実際にエリントン