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日々のつれづれ |新しい数学史を求めて(2) 実在感が数学を支える
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日々のつれづれ |新しい数学史を求めて(2) 実在感が数学を支える
数学の現場を渉猟すると、「知」と「情」が大きく乖離する現象がいたるところで観察されて、そのつどた... 数学の現場を渉猟すると、「知」と「情」が大きく乖離する現象がいたるところで観察されて、そのつどたえがたい困惑にまきこまれてしまいます。微積分に一例を求めますと、今日の微積分は「有理数の切断」をもってする実数の定義に始まり、「イプシロン-デルタ論法」と呼ばれる極限の定義と関数の連続性の定義、無限級数の収束と発散の定義、関数の微分可能性の定義、「コーシー-リーマンの和」の考察に基づく定積分の定義等々、きわめて抽象性の高い一系の定義に次々と出会います。どのひとつを見てもにわかに受け入れがたいものがあり、追随していくのは容易ではありませんが、定義の文言はみな単純明快ですし、抽象の度合いがどれほど高くとも知的に諒解するのに困難はないのですから、「情」が「知」の働きを抑制して受け入れを拒絶させているのであろう察せられます。きれいに飾られていて、栄養価も高いのかもしれませんが、何の味もしない食物を食べさ