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0480 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
あのころは川島忠之助がいた、中江兆民(405夜)がいた、森田思軒がいた、黒岩涙香(431夜)がい... あのころは川島忠之助がいた、中江兆民(405夜)がいた、森田思軒がいた、黒岩涙香(431夜)がいた。それから永井荷風(450夜)あたりがあいだに入って、堀口大學になる。 これがフランス語を美しい日本語に乗せていった最初の冒険者たちの顔ぶれだ。日本人のドイツ語のほうはなぜか演劇を通した。シラーの『ウィリアム・テル』を斎藤鉄太郎が、『メアリー・スチュアート』を福地桜痴が訳し、それから土方与志や村山知義(929夜)に移っていった。これにシェイクスピア(600夜)の坪内逍遥やアンデルセン(58夜)の森鷗外(758夜)が加わった。しかし詩人の魂を紹介したのは、フランス語に浸った上田敏・永井荷風・堀口大學だった。そうして『月下の一群』である。 これほど一冊の翻訳書が昭和の日本人の感覚を変えるとは、大學自身もほとんど想定していなかったろうと思う。明治38年の上田敏の『海潮音』が明治大正の文芸感覚をがらり