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1721 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
北杜夫の父君は歌人の斎藤茂吉である。明治十五年生まれ、伊藤左千夫の門下で、アララギ派の中心になっ... 北杜夫の父君は歌人の斎藤茂吉である。明治十五年生まれ、伊藤左千夫の門下で、アララギ派の中心になった。 茂吉は青山脳病院の院長でもあった。明治四十年落成の病院はたいそう堂々たるもので、茂吉の養父の斎藤紀一が広大な敷地に赤煉瓦のローマ式の病棟を巨大な翼を広げるように建てた。ところが大正十三年に失火で全焼し、玉川線開通後の山下駅近くの松原に敷地を得て移転した。このときから四五歳の茂吉が院長になった。 すでに茂吉は伊藤左千夫や島木赤彦らの「アララギ」に属して、新人歌人として大いに評価を得ていたが、病院運営などにはさっぱり自信がない。戦時中は山形に疎開をした。そこで病院を東京都に委譲することにしたため、青山脳病院は昭和二七年には東京都立梅ヶ丘病院になった。茂吉は精神科医としては失格だろう。短歌は震えるほど冴えていたが、食いしん坊で癇癪持ちだった。 斎藤茂吉(1882-1953) 歌人・医師。山形の生