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上質な買い物ってなんだろう、っていう話 - 執事の置き手紙
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少し前ですがこんな記事を見かけましてね。 サードウェーブ系男子ってまた上手い語呂合わせだなーって思... 少し前ですがこんな記事を見かけましてね。 サードウェーブ系男子ってまた上手い語呂合わせだなーって思ったんですが、本題はそこではなく上質な暮らし()についてです。 元記事にある通り、丁寧な暮らし()とか上質な暮らし()が微妙に揶揄の対象となってまして、個人的にはなんだかさみしい思いをします。それは上質な暮らしを志向する界隈の方々が、資本主義の現代に生きる人々からすると格好だけで滑稽に映るからかもしれません。 つまりアンチ資本主義的行動が黒縁メガネ・ニューバランス・ブルーボトルコーヒーに集約するなら、それもまた消費文化の中の一カルチャーに過ぎないというシニカルな批評です。 まぁ、そんなカウンターカルチャー論を述べたい訳でなく、じゃあ上質な暮らしって一体何だろうと考えてみたくなった訳です。とはいえ、暮らしと括ってしまうとそれこそ昨今の炎上元として名高い”主語が大きい”話になってしまいます。「レギ