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イスラム習俗瞥見 - 石陽消息
極東のさらに東の果て、湿潤多雨の日本列島の住人には、西アジア乾燥地のいわゆる「砂漠の宗教」である... 極東のさらに東の果て、湿潤多雨の日本列島の住人には、西アジア乾燥地のいわゆる「砂漠の宗教」であるイスラームは、あまりにも異質に感じられる。この感覚は重要だ。長く親しんで違和感をおぼえなくなってしまったが、初めて紅毛人の異俗に接したときに、昔の日本人もこんな感じを受けたであろうことを思い出させてくれる契機になる。要は、どれだけ目にしているかの頻度の問題にすぎない。われわれの目に立つ彼らの習俗に、人類の習俗として異様なものは何もない。 祈り方にまず驚かされる。キリスト教の祈りでは跪くだけだ。だが、それは西洋の家の床の汚さによるもの。家の中でも土足の西洋式とちがい、家では靴を脱ぐわれわれがあの礼拝方法に目をみはる必要はない。江戸時代の人ならさほど異様に思わなかったのではないか。あれの要諦は、膝だけでなく肘・額を地につけるということ。その点でチベットの五体投地と同じだし、中国人の叩頭、われわれ自身