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■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
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この間読んだ橋本治「ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)」で、相変わらず鋭い指摘があっ... この間読んだ橋本治「ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)」で、相変わらず鋭い指摘があった【ちゃんと話せぬおれカネゴン】。 敬語には重大な非対称性が存在している。目下の者はあらゆる困難を乗り越えて敬語を使わなければいけないのに、目上の者はどういうわけか敬語を使う必要がまったくないことになっている【目下の者とはおれカネゴン】。 今時、敬語に意味を持たせることができるとすれば、それは「相手との間に距離があることを示す符号」としての意味ぐらいしかないだろう。「私とあなたはまだそれほど親しくありません」ということを表すためのフラグ。 以上で本書の主張はたぶん終わり【売り上げ落とすおれカネゴン】。 いくつになっても甘えがちなカネゴンは、どうにかして大人になりたくて、ある時期から両親と話すときに意図的に敬語で話すように心がけてみたことがある。最初ぎょっとされ、次にさみしそうにも見えた。カネ