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『「大山倍達正伝」と戦後空手史(1)』
はみ唐さん日記(空手・地域史・そして家族) 空手(沖縄空手道・無想会)に取り組む「はみ唐」の日記。... はみ唐さん日記(空手・地域史・そして家族) 空手(沖縄空手道・無想会)に取り組む「はみ唐」の日記。時々家族のことも。 太田資正と岩付太田の研究は、ツイッターアカウントに移行中。 先日読んだ「大山倍達正伝」で知った、知られざる戦後空手史について、その中で私が面白いと思ったものを紹介していきたいと思います。 1.船越義珍と組手試合 沖縄から初めて日本本土に空手を伝えた「空手の父」船越義珍。 彼は伝統的な型稽古を重んじ、組手試合を行おうとする弟子たち(大学空手部)の取り組みに否定的だったと言われていました。 しかし「大山倍達正伝」では、その船越が、拓殖大空手部を引き連れ、立命館大空手部と組手試合の対抗戦を行ったという証言がでてきます。 時は1935年、船越義珍67歳の時です。 “意気揚々”立命館に乗り込んだ船越だったが、防具付の組手試合では、組手慣れした立命館の剛柔流空手の前に拓大からは怪我人が