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『No11:倭国の白村江の戦いは無かった(『日本書紀』記述はフィクション)』
日本古代史、百の虚偽と時事随想 教科書などで日本古代史として近畿地方の大和王権の成立や古代日本と朝... 日本古代史、百の虚偽と時事随想 教科書などで日本古代史として近畿地方の大和王権の成立や古代日本と朝鮮半島関係、天皇の歴史などが語られているが、しかし、残念ですが、これら戦後の日本古代史は多くの虚偽、嘘があります。それと、思いついたことを随想でお送りします。 七世紀の古代日本外交史で最も多く語られている一つは、『日本書紀』の中で、所謂、「白村江の戦い」であろうか。『日本書紀』の天智天皇の項にある①「救援軍渡海」と②「白村江の戦い」、③「西海防備」では日本は百済とともに唐と大きな戦をしたと述べている。そして、この戦については、日本の国学者の一部などは「日本が初めて負けた大戦であった」や「百済を救うための聖戦」などと様々に論じられてた。 しかし、古代中国史料においては、この戦は大きいものでは無かったし、倭軍はほとんど戦っていない。『旧唐書』においては、倭(北九州勢力)が唐とまともに戦ったという記
2024/08/04 リンク